この記事では、イエス・キリストが救い主であることだけでなく、どのような救い主であるか、すなわち、すべての人の救い主であることを示します。すべての人がキリストに招かれていますが、すべての人が救われるのではありません。

異教の神々は神ではない

ほかに神はいません。

「そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています」(1コリ. 8:4)

異教徒たちがかつて仕えていたものは神ではありません。

「ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました」(ガラ. 4:8)

偽りの神々:

「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です」(使. 14:15)

かつて、すべての国の民は神の道ではなく、自分たちの道を歩んでいました。

「神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました」(使. 14:16)

同様の引用はこちらにも多くあります:神は唯一である

キリストを拒むことは、神を拒むことである

「わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである」(ルカ. 10:16)

「わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる」(ヨハ. 15:23)

「御子を認めない者はだれも、御父に結ばれていません。御子を公に言い表す者は、御父にも結ばれています」(1ヨハ. 2:23)

「だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます」(2ヨハ. 1:9)

「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる」(ヨハ. 3:36)

キリストへの信仰なしに救われることはできない

「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使. 4:10-12)

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」(ヘブ. 11:6)

異端と教会からの分離は救いを失わせる

異端を作り出す者は神の国を受け継ぎません。

「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和*、仲間争い*、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません」(ガラ. 5:19-21)

*新共同訳で「不和」「仲間争い」と訳されている語は、ギリシア語原文ではそれぞれ διχοστασίαι(分裂、分離)と αἱρέσεις(異端)です(ガラ. 5:20)。

教会の中に分裂を引き起こす者は、主イエス・キリストに仕えていません。

「兄弟たち、あなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々を警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです」(ロマ. 16:17-18)

「不和」と訳されている語は、ギリシア語原文では διχοστασίας(分裂)です。

「彼ら[使徒たち]はあなたがたにこう言いました。『終わりの時には、あざける者どもが現れ、不信心な欲望のままにふるまう。』この者たちは、分裂を引き起こし(ギリシア語 ἀποδιορίζοντες、「分け隔てる者」、すなわち信仰の一致から自分を切り離す者)、この世の命のままに生き、霊を持たない者です」(ユダ. 1:18-19)

教会はキリストの体であり、キリストは体の救い主です。

「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」(使. 2:47)

「キリストの体である教会」(コロ. 1:24)

「キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主である」(エフェ. 5:23)

すべての人が裁きを受ける

「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです」(2コリ. 5:10)

「神は、善をも悪をも一切の業を、隠れたこともすべて裁きの座に引き出されるであろう」(コヘ. 12:14)

裁きは教会から始まる

「今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。『正しい人がやっと救われるのなら、不信心な人や罪深い人はどうなるのか』と言われているとおりです」(1ペト. 4:17-18)

わたしたちは皆、多くの罪を犯す

「わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です」(ヤコ. 3:2)

「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。<…> 罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません」(1ヨハ. 1:8,10)

多くの人が、救われないことに驚く

彼らは自分が救われていると思っていました。

「かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』」(マタ. 7:22-23)

多くの人は救われない

すべての人が救われるのではない

「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」(ルカ. 13:24)

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタ. 7:13-14)

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタ. 7:21)

「農夫が地に多くの種を蒔き、多くの苗を植えるが、時が来ても、蒔かれたものがすべて無事に芽を出すわけでなく、植えられたものがすべて根づくわけでもない。それと同じく、この世に蒔かれた人々がすべて救われるわけではない」(3エズ. 8:41)

救われる者は少ない

「すると、『主よ、救われる者は少ないのでしょうか』と言う人がいた。イエスは一同に言われた。『狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ』」(ルカ. 13:23-24)

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタ. 7:13-14)

「かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』」(マタ. 7:22-23)

「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ. 12:32)

「不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる」(黙. 22:11-12)

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Опубликовано пользователем: Rodion Vlasov
Создание страницы: 2026-10-25, обновление: 2026-10-25
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