神の子がいけにえとなることは、世界の創造の前からあらかじめ知られていた
「きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました」(1ペト. 1:19-20)
アブラハムの祝福
「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです。それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした」(ガラ. 3:13-14)
贖い
「知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」(1ペト. 1:18-19)
「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです」(ガラ. 3:13)
「キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです」(ヘブ. 9:28)
和解
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェ. 2:14-16)
「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです」(ロマ. 5:10)
「これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」(2コリ. 5:18)
「つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです」(2コリ. 5:19)
「その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」(コロ. 1:20)
「しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました」(コロ. 1:22)
神との一致
「キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです」(1ペト. 3:18)
聖体(キリストの体と血にあずかること)
「わたしたちには一つの祭壇があります。幕屋に仕えている人たちは、それから食べ物を取って食べる権利がありません。なぜなら、罪を贖うための動物の血は、大祭司によって聖所に運び入れられますが、その体は宿営の外で焼かれるからです。それで、イエスもまた、御自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難に遭われたのです」(ヘブ. 13:10-12)
「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である』」(マタ. 26:26-28)
「感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である』」(1コリ. 11:24-25)
新しい契約
「感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である』」(1コリ. 11:24-25)
御国
「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」(ロマ. 14:9)
父の御心、預言、約束を成就するため
「わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり」(ロマ. 15:8)
模範
「あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです」(1ペト. 2:21)
「その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」(2コリ. 5:15)
イスラム教徒からの質問
憐れみ深い神がただ赦すことができるなら、なぜいけにえが必要なのか
キリスト教徒が信じる神は、愛と呼ばれています。
「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。<…> わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」(1ヨハ. 4:8,16)
神は、御自分の被造物を救うために御自身をいけにえとして献げることによってこそ、被造物への愛を示されます。神御自身がこう言われたからです。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハ. 15:13)
こうして神は、いけにえとなる愛によって、救おうと望まれる人々を御自分のもとへ引き寄せられます。
「わたしは地上から上げられる[十字架にかけられる]とき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである」(ヨハ. 12:32-33)
しかし、全知の神は救いを賢明に整えられます。愛のほかに、神の正義を満たすことについても語ることができます。神は憐れみ深いだけでなく、正しい方でもあるからです。神は、知恵、憐れみ、正義、愛のすべてを一度に結び合わせることを知っておられます。