神の子には始まりがなく、始まりのあるすべてのものに始まりを与える方である
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。<…> 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(ヨハ. 1:1,3,14)
祭司メルキゼデクは、日々の始まりのない(始まりなき)神の子の似姿である
「彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です」(ヘブ. 7:3)
始まりなき方が始まる
始まりのない神が始まりを持たれます。預言のとおり(イザ. 7:14)、おとめから人として生まれるのです。
「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」(ガラ. 4:4)
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリ. 2:6-8)
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。<…> 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(ヨハ. 1:1,3,14)