序
まず説明しておかなければならないのは、この意見(キリストは大天使ミカエルであるという意見)が、全体主義的な宗派「エホバの証人」の中にあるということです。エホバの証人は自分たちの教えを裏付けるために、大きな歪曲を含む独自の聖書翻訳を作りました(エホバの証人の「新世界訳」についての専門家の評価、ロシア語)。セブンスデー・アドベンチストもまた、旧約聖書に大天使ミカエルとして現れる者は神の子イエス・キリストであると考えています。
「天使」という言葉の二つの意味
聖書の中には、天使という言葉の二つの意味が見られます。働きと本性です。
天使の働きとは、遣わされることです。この古代ギリシア語の語は文字どおりそういう意味だからです。ἄγγελος[アンゲロス]— 使者、知らせを伝える者。ヘブライ語 מלאך — 使者。
天使の本性とは、体のない霊です。天使とは、神によって造られた、体を持たない(無形の)霊的な存在、言い換えれば霊です。これらの霊は人間より前に造られ、自由と理性を与えられました。その中のある者たちは神に従って生きることを望まず、神から離れましたが、それでも天使と呼ばれています(マタ. 25:41)。つまり、働きの種類にかかわらない本性があるのです。遣わされていてもいなくても、天使は天使です。それが本性です。こうして、人から生まれたまったく具体的な人間、すなわち預言者洗礼者ヨハネが天使と呼ばれています(マラ. 3:1; マタ. 11:10; マコ. 1:2; ルカ. 7:27)。同じ意味で、同じ箇所で、キリスト御自身が契約の天使と呼ばれています(マラ. 3:1)。(新共同訳はこの語を「使者」と訳しています。「見よ、わたしは使者を送る」「契約の使者」。しかしギリシア語本文では、どちらの箇所にも ἄγγελος が用いられています。τὸν ἄγγελόν μου —「わたしの天使」、ὁ ἄγγελος τῆς διαθήκης —「契約の天使」マラ. 3:1、七十人訳。)これで決着がつきます。では、引用に移りましょう。
天使は皆、仕える霊であるが、キリストは玉座に着いておられる
使徒パウロは、神の子を天使たちよりはるかに優れた方と呼んでいます(ヘブ. 1:4)。神は御子に語りかけるようには天使たちに語りかけないからです(ヘブ. 1:5)。天使たちは皆、神の子を礼拝します(ヘブ. 1:6)。パウロは、天使たちについての神の言葉と神の子についての神の言葉の違いを指摘しています。前者は仕える者であり、後者は玉座に着いている支配者です(ヘブ. 1:7-8、ヘブ. 1:13)。また、造られたものはすべて一時的であるが、すべてを造られた神の子は決して過ぎ去らないことを指摘しています(ヘブ. 1:10-12)。そしてついに、天使たちは例外なく皆仕える霊であるが、御子は父と共に玉座に着いておられると、はっきり述べられています。
「神は、かつて天使のだれに向かって、『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい』と言われたことがあるでしょうか。天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか」(ヘブ. 1:13-14)
御子は仕えられる方であり、御子は父と共に治めておられます。
人類は神の前にひざまずくが、すべての被造物はキリストの前にひざまずく
神は、すべてのひざは御自分の前にかがむと言われます(ロマ. 14:11)。それと同時に、人間だけでなく、すべての被造物がキリストの前にひざまずきます(フィリ. 2:10)。天使たちも同様です(ヘブ. 1:6)。
世界は天使にではなく、キリストに従わされている
「神は、わたしたちが語っている来るべき世界を、天使たちに従わせるようなことはなさらなかったのです」(ヘブ. 2:5)
しかし、世界はキリストに従わされています。
「『神は、すべてをその足の下に服従させた』からです」(1コリ. 15:27)
「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました」(エフェ. 1:22)
「すべてのものを、その足の下に従わせられました。」「すべてのものを彼に従わせられた」と言われている以上、この方に従わないものは何も残っていないはずです」(ヘブ. 2:8)
全能者、王の王、主の主
こうして、天使たちは皆仕える霊であるのに対し、神の子イエス・キリストは、神が繰り返し呼ばれているのと同じ名、すなわち全能者、王の王、主の主と呼ばれていることが確かめられました。預言者たちは神を主の主と呼んでいます(詩. 136:2-3)。使徒たちは神を主の主、王の王と呼んでいます(1テモ. 6:15-16)。使徒たちはイエス・キリストを主の主、王の王(黙. 17:14; 19:16)、また全能者(黙. 1:8)と呼んでいます。王の王の上にほかの王はいません。主の主の上にほかの主はいません。全能者の上に、全能者を支える者はいません。この方御自身がすべてを支えておられるからです。大天使ミカエルは天使の軍勢の長です。キリストは、天使たちも大天使ミカエル自身も含めて、世界のまさにすべてのものの長です。
神(ヤハウェ)は御自身で預言者たちを遣わされたが、キリストは、遣わしたのは御自分だと言われる
重要なのは、キリストが、イスラエルに多くの預言者を遣わしたのは御自分だと指摘しておられることです(マタ. 23:34)。そして聖書は、預言者たちに語り、彼らをイスラエルに遣わしたのは、天使を通してではなく、神御自身であったと告げています(出. 3:12; マラ. 3:19,23; 士. 6:8; 代下. 25:15; サム上. 15:1; サム下. 12:1; サム下. 12:24-25; 3エズ. 1:32)。つまり、キリストは神、ヤハウェなのです。神が預言者たちと交わるとき、仲介者はいませんでした。
父から生まれた神の子が、天使たちを造られた
キリストは、天使たちも含めて、見えるものと見えないものすべての創造主です(コロ. 1:13-17)。つまり、もしキリストが天使であったなら、御自分をも造らなければならなかったことになります。
「ミカエル」という名の語源
ミカエルはヘブライ語の名で、ヘブライ語の מי כמו אלוהים(ミ・クモ・エロヒム、縮めて「ミ・カ・エル」)から来ており、文字どおりには「誰が神のようであろうか」という意味です。つまり、誰も神と等しくはなく、誰も神と比べることはできないということです。しかしキリストは、神と等しい方でありながら、神の身分におられます(フィリ. 2:6)。
旧い契約は天使たちを通して与えられ、新しい契約は主によって宣べ伝えられた
使徒パウロは、旧い契約と新しい契約の違いを指摘しています。旧い契約は天使たちを通して与えられ(ヘブ. 2:2)、新しい契約は主御自身が自ら宣べ伝えられました(ヘブ. 2:3)。つまり、少なくとも天使たちを通してではありません。
人となった神は、御自身を天使たちに示された
「信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、キリストは肉において現れ、“霊”において義とされ、天使たちに見られ(ギリシア語 ὤφθη ἀγγέλοις —「天使たちに現れた」)、異邦人の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた」(1テモ. 3:16)
新共同訳の「キリストは」という語はギリシア語本文にはなく、本文は Ὃς(「その方は」)で、直前の節の「生ける神」を受けています(詳しくはイエス・キリストは神であるを参照)。
いまだかつて神を見た者はなく(ヨハ. 1:18)、神は近寄り難い光の中に住まわれ、人は神を見ることができません(1テモ. 6:16)。しかし、まことの人として生まれることによって(ヨハ. 1:14)、神はキリストにおいてすべての人に見えるようになられます。人は霊的な世界の住人(天使)を肉の目で見ることはできませんが、キリストは、サタンが天から落ちるのを見ていたと言われます(ルカ. 10:18)。また、天使たちはさまざまな時に、さまざまな場所で、さまざまな人に現れますが、聖書はこの出来事(天使が現れること自体)に何の意味も持たせていません。つまり、「彼は天使たちに御自身を示した」というようなことは言いません。現れた、それだけです。
天使たちは造られたが、神の子は生まれた。しかも単に生まれたのではない。独り子のように父なる神から生まれた者は、ほかに誰もいない
神の子は造られたのではなく神から生まれたのであり、造られたものはすべて、その後に御子によって造られたことが示されています(コロ. 1:15-16)。そして神の子は独り子です(ヨハ. 1:18)。つまり、独り子のように父の子である者は、ほかに誰もいないということです。わたしたちは「造られた」と「生まれた」という言葉を区別します。何でも造ることはできますが、生むことができるのは自分と同じもの、同じ本性のものだけです。魚は魚を生み、人は人を生み、神は神を生みます。オリーブの木がオレンジを実らせることはありません。
結論
キリストは大天使ミカエルではなく、神です。そして繰り返し、はっきりと神と呼ばれています。聖書はそれを明白に述べています:イエス・キリストは神である
「わたしの民よ、聞け、わたしは語る。イスラエルよ、わたしはお前を告発する。わたしは神、わたしはお前の神」(詩. 50:7)