イエス・キリストはベツレヘムで生まれる
預言のとおりに:マタ. 2:5; ヨハ. 7:42; ミカ. 5:1。
エジプトへの逃避
誕生の後、ヨセフとおとめマリアは幼子イエスをヘロデ王の迫害から隠すために、数年間エジプトへ連れて行きます(マタ. 2:16)。
「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた」(マタ. 2:14-15)
ナザレへの帰還
その後、一家はナザレにあるヨセフの家(ルカ. 2:4)に戻ります。
「『起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。』そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。<…> ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ」(マタ. 2:20-23)
預言のとおりに:マタ. 2:23、おそらく:士. 13:5。
毎年のエルサレム詣で
イエス・キリストは毎年、両親や親類、知人と共にエルサレムの神殿へ行かれました(ルカ. 2:43-44)。
「さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った」(ルカ. 2:41-42)
12歳までに、少年イエスはすでに大きな知恵を持っておられ、エルサレムの神殿の教師たちを驚かせました。
「さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。<…> 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた」(ルカ. 2:41-42,46-47)
12歳以後も、キリストは両親に従ってナザレで暮らされました。
「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった」(ルカ. 2:51)
ナザレからカファルナウムへの移住:宣教の始まり
30歳に達し、預言者ヨハネから洗礼を受けて初めて、キリストはナザレを離れ、宣教を始めるためにカファルナウムに移られます。
「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」(マタ. 4:12-13)
預言のとおりに:マタ. 4:14-16; イザ. 8:23–9:1
重要な点
ガリラヤの人々は、イエスが大工の息子であることをよく知っている
ガリラヤでの宣教の間、人々はイエス・キリストを、普通の大工、大工の息子としてよく知っています。
「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた」(マコ. 6:3)
「この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか」(マタ. 13:55)
律法を守るための定期的な神殿詣で
律法を守るために、キリストは年に3回エルサレムの神殿に行かなければなりませんでした。
「年に三度、男子はすべて、主なる神の御前に出ねばならない」(出. 23:17)
「年に三度、男子はすべて、主なるイスラエルの神、主の御前に出ねばならない」(出. 34:23)
「男子はすべて、年に三度、すなわち除酵祭、七週祭、仮庵祭に、あなたの神、主の御前、主の選ばれる場所に出ねばならない。ただし、何も持たずに主の御前に出てはならない」(申. 16:16)
キリストは律法を成就された
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」(マタ. 5:17)
「しかし、イエスはお答えになった。『今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです』」(マタ. 3:15)
「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(マタ. 26:24)(マコ. 14:21)
「イエスは言われた。『わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである』」(ルカ. 24:44)
「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」(ガラ. 4:4)
宣教のために成人の年齢を待つ
キリストは30歳になるまで宣教と奇跡を控えておられました。神の定めと確立された伝統により、公の奉仕は30歳から始められたからです(民. 4:3)。それゆえ、律法を廃止するためではなく完成するために来られたキリスト(マタ. 5:17)は、30歳まで待ってから宣教に出られました。
「イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた」(ルカ. 3:23)
キリストは御自分の時が来るのを待っておられました。
「イエスは母に言われた。『婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません』」(ヨハ. 2:4)
「人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである」(ヨハ. 7:30)
「イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである」(ヨハ. 8:20)
「そこで、イエスは言われた。『わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている』」(ヨハ. 7:6)
「あなたがたは祭りに上って行くがよい。わたしはこの祭りには上って行かない。まだ、わたしの時が来ていないからである」(ヨハ. 7:8)
「しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう」(ルカ. 12:50)
「イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。『父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください』」(ヨハ. 17:1)