「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」(マコ. 16:19)
「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました」(ヘブ. 1:3)
「今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き…」(ヘブ. 8:1)
「しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き…」(ヘブ. 10:12)
「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです」(ヘブ. 12:2)
「なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださったからです」(ヘブ. 9:24)
「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った」(使. 7:55-56)