聖書の引用

祈り

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祈れという戒め

願いの祈り

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(マタ. 7:7)(ルカ. 11:9)

感謝の祈り

「絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(1テサ. 5:17-18)

「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(フィリ. 4:6)

「むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」(エフェ. 5:18-20)

「そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい」(コロ. 3:17)

神を賛美する祈り(頌栄)

「感謝の歌をうたって主の門に進み賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ」(詩. 100:4)

「どのようなときも、わたしは主をたたえわたしの口は絶えることなく賛美を歌う。わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え」(詩. 34:2-3)

「だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう」(ヘブ. 13:15)

絶え間ない祈りと神の観想

「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」(エフェ. 6:18)

「絶えず祈りなさい」(1テサ. 5:17)

「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。『ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、「相手を裁いて、わたしを守ってください」と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。「自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。」』それから、主は言われた。『この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか』」(ルカ. 18:1-7)

どのような祈りが聞き入れられるか

信仰

「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません」(ヤコ. 1:5-7)

「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる」(マタ. 21:22)(マコ. 11:24)

義(神の御心に従う生活、罪から離れること)

「主は逆らう者のいけにえをいとい正しい人の祈りを喜び迎えられる」(箴. 15:8)

「主は逆らう者に遠くいますが従う者の祈りを聞いてくださる」(箴. 15:29)

「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」(ヨハ. 15:7)

「この民は、口でわたしに近づき唇でわたしを敬うが心はわたしから遠く離れている」(イザ. 29:13)

へりくだり、悔いる心

「しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません」(詩. 51:19)

「主よ、あなたは貧しい人に耳を傾けその願いを聞き、彼らの心を確かにし」(詩. 10:17)

「謙虚な人の祈りは、雲を突き抜けて行き、それが主に届くまで、彼は慰めを得ない」(シラ. 35:21)

「わたしが顧みるのは苦しむ人、霊の砕かれた人わたしの言葉におののく人」(イザ. 66:2)

「しかし、打ち砕かれた魂とへりくだった霊によって、わたしたちが受け入れられますように」(ダニ. 3:39、七十人訳。ギリシア語からの訳:ἀλλ᾿ ἐν ψυχῇ συντετριμμένῃ καὶ πνεύματι τεταπεινωμένῳ προσδεχθείημεν。この箇所は新共同訳のダニエル書にはありません)

「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。『二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。「神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。」ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる』」(ルカ. 18:9-14)

こちらも参照(ロシア語):謙遜。

すべての侮辱を赦すこと

「また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。〔もし赦さないなら、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちをお赦しにならない。〕」(マコ. 11:25-26)(新共同訳は26節を〔 〕に入れていますが、ビザンティン本文(多数派写本)では本文の一部です。)

「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる」(マタ. 6:14)

隣人との平和

「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」(マタ. 5:23-24)

「同じように、夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません」(1ペト. 3:7)

忍耐

「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。『ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、「相手を裁いて、わたしを守ってください」と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。「自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。」』それから、主は言われた。『この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか』」(ルカ. 18:1-7)

「また、弟子たちに言われた。『あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。「友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。」すると、その人は家の中から答えるにちがいない。「面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。」しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる』」(ルカ. 11:5-10)

施し(困っている人々への実際の助け)

「真実をもって祈りをささげ、正義をもって慈善の業をする方が、不正を行って金持ちとなるよりも、よいことです。金をため込むよりも慈善の業をする方がはるかにすばらしいことなのです」(トビ. 12:8)(七十人訳の別の本文では「断食を伴う祈りは良い。しかし、その二つにまさるのは、義を伴う施しである」となっています。)

「いかに幸いなことでしょう弱いものに思いやりのある人は。災いのふりかかるとき主はその人を逃れさせてくださいます。主よ、その人を守って命を得させこの地で幸せにしてください。貪欲な敵に引き渡さないでください」(詩. 41:2-3)

「弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる」(箴. 19:17)

「お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。お前たちの血にまみれた手を洗って、清くせよ。悪い行いをわたしの目の前から取り除け。悪を行うことをやめ善を行うことを学び裁きをどこまでも実行して搾取する者を懲らし、孤児の権利を守りやもめの訴えを弁護せよ」(イザ. 1:15-17)

「すると、天使は言った。『あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた』」(使. 10:4)

断食

「主は言われる。『今こそ、心からわたしに立ち帰れ断食し、泣き悲しんで』」(ヨエ. 2:12)

「わたしは主なる神を仰いで断食し、粗布をまとい、灰をかぶって祈りをささげ、嘆願した」(ダニ. 9:3)

「そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」(使. 13:3)

「断食して膝は弱くなりからだは脂肪を失い、衰えて行きます。<…> わたしの神、主よ、わたしを助けてください。慈しみによってお救いください」(詩. 109:24,26)

偽善のないこと

「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」(マタ. 6:5-6)

空しい多弁のないこと

すでに上で述べたように、祈りには絶え間なさ、粘り強さ、忍耐が求められます(ルカ. 18:1-7)。しかし、神は言葉が繰り返される回数によってなだめられるのではありません。祈りは、上に挙げたすべてのこと、すなわち信仰、義、神に喜ばれる行い、罪から離れること、心の清さ、侮辱を赦すこと、隣人との平和などと結びついていなければなりません。一方、異教徒たちは、自分自身と自分の生活を変えることなく、あたかも眠っているかのような自分たちの神々に届くまで叫べばよいと期待していました。だから、もっと大きく、もっと何度も叫ばなければならないかのように考えていたのです(王上. 18:26-28を参照)。

「また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」(マタ. 6:7-8)

主イエス・キリスト御自身もしばしば夜通し祈られ、時には御自分の祈りを繰り返されました。

「更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた」(マコ. 14:39)

神は御心に適うことを与えられる

「願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです」(ヤコ. 4:3)

「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です」(1ヨハ. 5:14)

「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」(ヨハ. 15:7)

「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」(マタ. 7:9-11)

一人での祈り

「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」(マタ. 6:6)

共同の祈り

「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタ. 18:19-20)

ほかの人々のための祈り

隣人と教会のための祈り

「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」(ヤコ. 5:16)

「同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています」(コロ. 4:3)

「兄弟たち、わたしたちのためにも祈ってください」(1テサ. 5:25)

「終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように」(2テサ. 3:1)

「わたしたちのために祈ってください。わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています」(ヘブ. 13:18)

「わたしたちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、わたしたちは祈っています」(2コリ. 13:9)

「このことのためにも、いつもあなたがたのために祈っています。どうか、わたしたちの神が、あなたがたを招きにふさわしいものとしてくださり、また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように」(2テサ. 1:11)

「あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです」(2コリ. 1:11)

わたしたちに害を加える者のための祈り

「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタ. 5:44)(ビザンティン本文(多数派写本)ではこの節は長く、「呪う者を祝福し、憎む者に親切にし、侮辱する者と迫害する者のために祈りなさい」となっています。)

「悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」(ルカ. 6:28)

死に至らない罪を犯している人のための祈り

「死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません。不義はすべて罪です。しかし、死に至らない罪もあります」(1ヨハ. 5:16-17)

教会の祈りによって人々の罪が赦される

「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」(ヤコ. 5:14-16)

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Опубликовано пользователем: Rodion Vlasov
Создание страницы: 2026-10-25, обновление: 2026-10-25
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