神は旧約の神殿を祈りの家と呼ばれる
「わたしは彼らを聖なるわたしの山に導きわたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるならわたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」(イザ. 56:7)(マタ. 21:13)(マコ. 11:17)
神殿の構造には、座るための場所は設けられていませんでした。神殿の詳しい構造。
神殿では人々は立って祈った
「ユダの人々は主を求めて集まった。ユダのすべての町から人々が主を求めて集まって来た。<…> ユダのすべての人々がその幼子も、妻も、息子と共に主の御前に立っていた」(代下. 20:4,13)
「モーセは更に、コラに言った。『レビの子らよ、聞きなさい。イスラエルの神はあなたたちをイスラエルの共同体から取り分けられた者として御自身のそばに置き、主の幕屋の仕事をし、共同体の前に立って彼らに仕えさせられる。あなたたちはそれを不足とするのか』」(民. 16:8-9)
神に仕える存在は立った姿で描かれる
「このケルビムの広げた翼は合わせて二十アンマであった。ケルビムは顔を内側に向けて足で立っていた」(代下. 3:13)
キリストは使徒たちに、起きて祈るよう言われた
「〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。イエスは言われた。『なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい』」(ルカ. 22:43-46)(新共同訳は43-44節を〔 〕に入れていますが、ビザンティン本文(多数派写本)では本文の一部です。)
「起きて」という語は、「眠りから覚めて」という意味にも理解できます。しかしこの箇所は、大いなる労苦と汗の滴を伴うキリスト御自身の祈りを示している点でも大切です。
注記
信じる者たちの集会が、ベンチの並んだ広間に座って神の前で祈ったという聖書の箇所は一つもありません。