ゲオルギー・マクシモフ、司祭

若者と教会離れについて

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注目すべきは、イエスを見た一人の若者に関する福音書の物語である。「走り寄り、ひざまずいてイエスに尋ねた。『善い先生、永遠のいのちを受け継ぐためには、何をすればよいでしょうか。』」 戒めを守る必要があるという答えを受けて、若者はイエスに答えて言った。「先生、そういうことはみな、小さい時から守ってきました。」イエスは彼を見つめ、彼を愛して言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って、持っているものを全て売り、貧しい人々に与えなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、来なさい。十字架を取って、わたしに従いなさい。」すると彼は、この言葉に顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、彼は多くの財産を持っていたからである(マルコ10:17-22)。

注目すべきは、これほど熱心に救い主のところへ走り寄った若者が、答えを受けてキリストから離れていくということである。誰も彼を追い出したわけではない。誰も彼を傷つけたわけでもない。それどころか、福音書記者は、主が彼に愛をもって答えられたことを強調している。しかし、その人は離れていくのである。自分自身で。いつもそうである。キリストの言葉を実行することを自分自身が望まないことに直面した者は、もはやキリストのそばには留まることができず、離れていくのである。悲しみとともに、戸惑いとともに、しかし離れていくのである。彼自身の悪しき選択が彼を追い立てるのである。

少し前のこと、ある正教会のサイトで、なぜ人々が教会から離れるのかという問題が提起された。私には、若者がキリストから離れたのと同じ理由のように思われるのである。熱意をもって訪れ、愛をもって迎えられたのに。私は個人的に、教会から離れていった知人たちの例をいくつか知っている。全ての場合において、そこには意図的に行われる罪が存在しており、その人たちはその罪を捨てようとはしなかったのである。彼らは単に、キリストの言葉に従って生きることを望んでいないことに直面したのだ。そしてそのような人間は、時が経つにつれて教会の中に退屈を感じるようになる。窮屈に。心地悪く。そして彼は離れていくのである。そして自分の行動を正当化するために、すでに自分自身を高く評価することを可能にする、もっともらしい何らかの理由をでっち上げるのである。

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Опубликовано пользователем: Rodion Vlasov
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