聖書の引用

聖伝

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聖伝とは何か

聖伝とは父なる神の啓示です。父はそれを独り子を通して使徒たちに伝え、使徒たちはそれを教会のほかの人々に伝え、教会はそれを言葉(話し言葉と書き言葉)と行いによって、代々伝えていきます。

「なぜなら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じたからです」(ヨハ. 17:8)

「あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います」(1コリ. 11:2)(「伝えられた教え」と訳されている語は、ギリシア語原文では παραδόσεις —「伝承(聖伝)」です。)

聖伝は書かれた文書だけでなく、信仰を伝える話し言葉でもある

「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いた(!)とき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」(1テサ. 2:13)

「キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた(!)健全な言葉を手本としなさい」(2テモ. 1:13)

「そして、多くの証人の面前でわたしから聞いた(!)ことを、ほかの人々にも教えることのできる忠実な人たちにゆだねなさい」(2テモ. 2:2)

「ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教(!)や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい」(2テサ. 2:15)(「伝えた教え」は、ギリシア語原文では τὰς παραδόσεις —「伝承(聖伝)」、「説教」は διὰ λόγου —「言葉によって」です。)

「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていた(!)ことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう」(1ヨハ. 2:24)

「あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し(!)、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います」(1コリ. 11:2)

「だから、どのように受け、また聞いた(!)か思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。もし、目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう。わたしがいつあなたのところへ行くか、あなたには決して分からない」(黙. 3:3)

使徒たちは聖伝を用いた

使徒は、聖書には名が記されていない二人のエジプトの魔術師の名を挙げています。

「ヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、彼らも真理に逆らっています。彼らは精神の腐った人間で、信仰の失格者です」(2テモ. 3:8)

使徒ユダは、聖書にない論争について語っています。

「大天使ミカエルは、モーセの遺体のことで悪魔と言い争ったとき、あえてののしって相手を裁こうとはせず、『主がお前を懲らしめてくださるように』と言いました」(ユダ. 1:9)

聖書にないエノクの言葉について:

「アダムから数えて七代目に当たるエノクも、彼らについてこう預言しました。『見よ、主は数知れない聖なる者たちを引き連れて来られる』」(ユダ. 1:14)

使徒パウロは、木のうろに隠れた後でのこぎりで引かれた預言者イザヤについて語っています。

「彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され」(ヘブ. 11:37)

福音記者ルカは、目撃者たちから聞いた言葉に基づいて福音書を書き記します。つまり、伝承を書き記すのです。

「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました」(ルカ. 1:1-3)

使徒たちは、福音書にない事柄を伝えている

使徒パウロは、エフェソの牧者たちとの話の中で、福音書にない救い主キリストの教えを示しています。

「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました」(使. 20:35)

また、復活したキリストが大勢の人々に現れたことを伝えていますが、これも福音書には書かれていません。

「次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ」(1コリ. 15:6-7)

聖伝の大切さ

誤った教えは神に導きません。

「だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます」(2ヨハ. 1:9)

異端(偽りの教え)は神の国を受け継ぎません。

「仲間争い <…> 以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません」(ガラ. 5:20-21)(「仲間争い」と訳されている語は、ギリシア語原文では αἱρέσεις —「異端」です。)

聖伝の必要性

聖書は、イエス・キリストについてのすべての情報の源ではありません。

「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」(ヨハ. 20:30-31)

「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう」(ヨハ. 21:25)

どの書簡にも、正しく洗礼を授ける方法や、輔祭、司祭、主教を叙聖する方法についての教えはありません。

「だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう」(ヘブ. 6:1-2)

上にすでに示したとおり、使徒たちはある事柄を口頭で伝えることを望みました。

「あなたがたに書くことはまだいろいろありますが、紙とインクで書こうとは思いません。わたしたちの喜びが満ちあふれるように、あなたがたのところに行って親しく話し合いたいものです」(2ヨハ. 1:12)

「あなたに書くことはまだいろいろありますが、インクとペンで書こうとは思いません。それよりも、近いうちにお目にかかって親しく話し合いたいものです」(3ヨハ. 1:13-14)

使徒パウロは、書簡によってだけでなく言葉によって受けた聖伝(使徒たちの教え)を守るよう求めています。

「ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい」(2テサ. 2:15)

「そして、多くの証人の面前でわたしから聞いたことを、ほかの人々にも教えることのできる忠実な人たちにゆだねなさい」(2テモ. 2:2)

使徒たちの口頭の宣教の長さ

使徒パウロは、アジアの司祭たちを三年間、夜も昼も教えました。

「だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい」(使. 20:31)

一年半、コリントの共同体を教えました。

「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。<…> パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた」(使. 18:1,11)

エフェソでは、まず三か月間会堂で、その後二年間、講堂で弟子たちと共に宣教しました。

「パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった」(使. 19:8-10)

全体で、使徒パウロ一人だけでも、少なくとも30年間宣教しました。紀元33〜34年の回心から、紀元64〜67年の死までです。

聖伝を守り、それに従って教えよという命令

「マケドニア州に出発するときに頼んでおいたように、あなたはエフェソにとどまって、ある人々に命じなさい。異なる教えを説いたり、作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないようにと。このような作り話や系図は、信仰による神の救いの計画の実現よりも、むしろ無意味な詮索を引き起こします」(1テモ. 1:3-4)

「そして、多くの証人の面前でわたしから聞いたことを、ほかの人々にも教えることのできる忠実な人たちにゆだねなさい」(2テモ. 2:2)

「ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい」(2テサ. 2:15)

「あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います」(1コリ. 11:2)

「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう」(1コリ. 15:1-2)

「愛する人たち、わたしたちが共にあずかる救いについて書き送りたいと、ひたすら願っておりました。あなたがたに手紙を書いて、聖なる者たちに一度伝えられた信仰のために戦うことを、勧めなければならないと思ったからです」(ユダ. 1:3)

「さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください」(1テサ. 4:1)

「教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう。実は、不従順な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多いのです。特に割礼を受けている人たちの中に、そういう者がいます。その者たちを沈黙させねばなりません。彼らは恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、数々の家庭を覆しています」(テト. 1:9-11)

「ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。<…> こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう」(2コリ. 11:3-4,13-15)

新しい教えを持ち込む者たちから離れよ

「分裂を引き起こす人(ギリシア語 αἱρετικὸν ἄνθρωπον —「異端の人」)には一、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを持たないようにしなさい」(テト. 3:10)

「異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、信心に基づく教えにも従わない者がいれば、その者は高慢で、何も分からず、議論や口論に病みつきになっています。そこから、ねたみ、争い、中傷、邪推、絶え間ない言い争いが生じるのです。<…>」(1テモ. 6:3-5)(ビザンティン本文(多数派写本)では、5節は「このような人々から離れなさい」〔ἀφίστασο ἀπὸ τῶν τοιούτων〕という言葉で終わります。新共同訳が底本とする校訂本文には、この言葉はありません。)

「テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。恵みがあなたがたと共にあるように」(1テモ. 6:20-21)

「兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい」(2テサ. 3:6)(「教え」は、ギリシア語原文では παράδοσιν —「伝承(聖伝)」です。)

「兄弟たち、あなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々を警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです」(ロマ. 16:17-18)

「この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。そのような者に挨拶する人は、その悪い行いに加わるのです」(2ヨハ. 1:10-11)

「しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい(ギリシア語 ἀνάθεμα ἔστω —「アナテマであれ」)。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい」(ガラ. 1:8-9)

アナテマ(ギリシア語 ἀνάθεμα)— 教会からの破門。

聖人を敬い、聖人に倣う必要

「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい」(ヘブ. 13:7)

「そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい」(1コリ. 4:16)

「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい」(フィリ. 3:17)

聖人の崇敬について、さらに詳しく:聖書における聖人の崇敬

聖伝の歪曲(異端)を明るみに出せ

「真理のためには、命がけで戦え。主なる神も、お前に味方して戦ってくださる」(シラ. 4:28)

「愛する人たち、わたしたちが共にあずかる救いについて書き送りたいと、ひたすら願っておりました。あなたがたに手紙を書いて、聖なる者たちに一度伝えられた信仰のために戦うことを、勧めなければならないと思ったからです」(ユダ. 1:3)

「実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい」(エフェ. 5:11)

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Опубликовано пользователем: Rodion Vlasov
Создание страницы: 2026-10-25, обновление: 2026-10-25
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