聖書の引用

聖書は神の口述筆記ではない

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聖書の言葉は神の霊の導き(霊感)によって書かれたものですが、神が口述し、それをそのまま書き取ったものではありません。書き手も、鉛筆のような意志のない道具として神の手の中にあったのではありません。羊飼いであった預言者は素朴な言葉で書き、王宮出身の預言者は高い教養のある人として書いています。どちらも、それぞれの生活にふさわしいたとえを用いています。たとえば、使徒パウロについて、ほかの使徒は、その手紙には理解しにくいところがあると書いています。

「彼は、どの手紙の中でもこのことについて述べています。その手紙には難しく理解しにくい個所があって…」(2ペト. 3:16)

また、使徒パウロ自身も、自分は知識においてではなく、言葉においては素人であると言っています。

「たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない」(2コリ. 11:6)

つまり、知識には欠けるところがなくても、彼は自分にできるように書いているのです。実際、使徒パウロは教育を受けたファリサイ派の人として、込み入った論理の構文を用いています。それどころか、使徒たちは時に、自分自身の考えとして書いていることをはっきり述べています。

「未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいませんが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べます」(1コリ. 7:25)

むしろ、聖書は神と人との共同の働き(協働、シネルギア)であると言うほうが正確です。

「わたしたちは神のために力を合わせて働く者(συνεργοί[シュネルゴイ]、「共に働く者」)であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです」(1コリ. 3:9)

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Опубликовано пользователем: Rodion Vlasov
Создание страницы: 2026-10-25, обновление: 2026-10-25
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