神は聖書を通して語られる
「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので」(ロマ. 1:2)
「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです」(使. 1:16)
「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」(2テモ. 3:16)(「神の霊の導きの下に書かれ」は、ギリシア語原文では θεόπνευστος —「神の息を吹き込まれた」です。)
使徒たちの宣教は神の言葉である
「サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた」(使. 13:5)
「ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた」(使. 17:13)
「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」(1テサ. 2:13)
聖書を読めという救い主の戒め
「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ」(ヨハ. 5:39)(「研究している」と訳されている ἐρευνᾶτε は、ギリシア語では命令形「調べよ」とも読むことができ、古代の教父たちや教会スラヴ語訳はそのように理解しています。)
「イエスはお答えになった。『あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている』」(マタ. 22:29; マコ. 12:24)
聖書を読むことは救いに有益である
「また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます」(2テモ. 3:15)
聖書が廃れることはありえない
「聖書が廃れることはありえない」(ヨハ. 10:35)
聖書は歴史への記念ではなく、今日の人のために書かれた
「かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです」(ロマ. 15:4)
聖書を理解すること
「聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」(2ペト. 1:20-21)
使徒たちは聖書を知っていたが、救い主の説明を必要とした
「そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」(ルカ. 24:27; 24:32)
神は使徒たちに、聖書を悟る力を与えられた
「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」(ルカ. 24:45)
使徒たちは会堂でユダヤ人に、聖書を正しく理解することを教えた
「兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」(使. 17:10-11)
聖書のすべてが分かりやすいわけではない。無知な者は聖書を曲解する
「彼は、どの手紙の中でもこのことについて述べています。その手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています」(2ペト. 3:16)
ユダヤ人アポロは、聖書によってイエスがキリストであることを証明した
「彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである」(使. 18:28)