聖書の引用

斎(断食)

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修行一般について:

「競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです」(1コリ. 9:25-27)

神は、断食をもって御自分に立ち帰るよう呼びかけておられます:

「主は言われる。『今こそ、心からわたしに立ち帰れ断食し、泣き悲しんで』」(ヨエ. 2:12)

主イエス・キリストは断食をもって宣教を始められました:

「そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた」(マタ. 4:2)

主は正しく断食する仕方を教えられました:

「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている」(マタ. 6:16)

「あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい」(マタ. 6:17)

預言者ヨハネの弟子たちは断食していました:

「そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、『わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか』と言った」(マタ. 9:14)(マコ. 2:18)

キリストの弟子たちは、キリストの十字架刑の後に断食することになります:

「イエスは言われた。『花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる』」(マタ. 9:15)(マコ. 2:20)(ルカ. 5:35)

ある種の悪霊は、断食なしには人から追い出すことができません:

「〔しかし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行かない。〕」(マタ. 17:21)(マコ. 9:29)(新共同訳はマタ 17:21 を〔 〕に入れ、マコ 9:29 を「祈りによらなければ」としていますが、ビザンティン本文(多数派写本)では、どちらにも「祈りと断食によらなければ」(ἐν προσευχῇ καὶ νηστείᾳ)とあります。)

主の神殿にいたやもめは、夜も昼も祈りと断食をもって神に仕えていました:

「夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた」(ルカ. 2:37)

断食の間に、百人隊長のもとに天使が遣わされました:

「すると、コルネリウスが言った。『四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って』」(使. 10:30)(ビザンティン本文(多数派写本)では「四日前、わたしはこの時刻まで断食していました(ἤμην νηστεύων)。そして午後三時に家で祈っていますと」となっています。)

聖霊は断食の間に最初のキリスト者たちと交わられました:

「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために』」(使. 13:2)

最初のキリスト者たちは、あらゆる大切な事柄において祈りに断食を加えました:

「また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた」(使. 14:23)

断食のために、夫婦はしばらくの間、互いに離れていることができます:

「互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです」(1コリ. 7:5)(ビザンティン本文(多数派写本)では「専ら断食と祈りに時を過ごすために」(τῇ νηστείᾳ καὶ τῇ προσευχῇ)となっています。)

使徒たちは断食において神に仕える者であることを示します:

「あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛……」(2コリ. 6:4-6)(「飢餓」は、ギリシア語原文では νηστείαις —「断食」です。)

使徒は、やむを得ない自己賞賛を自ら恥じつつ(2コリ. 11:21)、断食を誇っています:

「苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました」(2コリ. 11:27)(「しばしば食べずにおり」は、ギリシア語原文では ἐν νηστείαις πολλάκις —「しばしば断食し」です。)

使徒は、健康がすぐれないために、主教テモテに斎を緩めることを許します:

「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、度々起こる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい」(1テモ. 5:23)

善い行い=祈り+断食+施し+義:

「真実をもって祈りをささげ、正義をもって慈善の業をする方が、不正を行って金持ちとなるよりも、よいことです。金をため込むよりも慈善の業をする方がはるかにすばらしいことなのです」(トビ. 12:8)(新共同訳は別の本文に従っています。七十人訳の広く用いられている本文では「断食を伴う祈りは良い。しかし、その二つにまさるのは、義を伴う施しである。不義を伴う富よりも、義を伴うわずかなものの方が良い。金をため込むよりも施しをする方が良い」となっています。)

王であり預言者であるダビデは、災いの時に断食をもって神の前にへりくだりました:

「彼らが病にかかっていたときわたしは粗布をまとって断食し、魂を苦しめ胸の内に祈りを繰り返し」(詩. 35:13)

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Опубликовано пользователем: Rodion Vlasov
Создание страницы: 2026-10-25, обновление: 2026-10-25
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