キリストの十字架のいけにえの旧約における予型は、イサクの奉献です。アブラハム(父)がイサク(独り子)をいけにえとして献げます:
「神は命じられた。『あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい』」(創. 22:2)
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハ. 3:16)
イサクは、自分がその上でささげられるものを背負って山に登ります:
「アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った」(創. 22:6)
「こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる『されこうべの場所』、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた」(ヨハ. 19:16-18)
アブラハムはイサクを祭壇の上に置きました:
「神がわたしたちの父アブラハムを義とされたのは、息子のイサクを祭壇の上に献げるという行いによってではなかったですか」(ヤコ. 2:21)
「このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです」(使. 2:23)
祭壇の上でのように、十字架の上で人類の救いが成し遂げられます:
「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェ. 2:16)