聖書の引用

善いサマリア人

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たとえ

「しかし、彼[律法の専門家]は自分を正当化しようとして、『では、わたしの隣人とはだれですか』と言った。イエスはお答えになった。『ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』律法の専門家は言った。『その人を助けた人です。』そこで、イエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい』」(ルカ. 10:29-37)

たとえの解説

司祭ゲオルギイ・マクシモフ

善いサマリア人のたとえ — それは何について語っているのでしょうか。

今日、福音書の朗読で、わたしたちは善いサマリア人のたとえを聞きました。初めに、このたとえが語られた状況が述べられています。ある律法の専門家がキリストを試そうとしてやって来て、「何をしたら救われるでしょうか」と尋ねました。聖師父たちが説明しているように、彼は、モーセの律法に反するものとして示すことのできる言葉をキリストから引き出そうと望んでいたのです。しかしイエスは、彼の心を見抜いて、「律法には何と書いてあるか」と尋ねられます。すると彼は答えます。神と隣人を愛せよ、と。主は彼に言われます。正しい答えだ。それを実行しなさい、と。これによって主は、その人の狡猾なたくらみをたちまち打ち砕き、その質問のばかばかしさを示されました。自分の質問の答えをすでに知っているのなら、なぜ尋ねるのか、と。

しかし、福音記者が言うように「自分を正当化しようとして」、つまり、自分が狡猾さからではなく、分からないから質問しているのだと見せるために、律法の専門家は尋ねます。「では、わたしの隣人とはだれですか」。そして主は、善いサマリア人のたとえで彼に答え、その終わりに尋ねられます。このたとえに出てきた人たちのうち、だれが追いはぎの被害に遭った人の隣人だったと思うか、と。そして質問した人は、サマリア人が隣人であったと認めざるをえません。

主の最初の答えから、聖フェオファン隠修者が言ったように、救いに必要なことはすべて聖書から学ぶことができる、ということが分かります。しかし、この人はさらに、旧約の聖書には一義的な答えがなかった質問をします。するとキリストは、彼の良心そのものが、どう振る舞うのが正しいかを証ししていることを示されます。わたしたちは皆、この良心の声によって、どう振る舞うのが正しいか、また逆に、どのような行いが間違っていて神に喜ばれないかを、すでに知っています。ここには、復活の後、キリストの恐るべき審判で、わたしたちがどのように裁かれるかの象徴があります。多くの聖人たちが言ったように、そのとき人の良心がその人に不利な証言をします。つまり、人は自分自身の告発者、自分自身の検察官となるのです。ですから、その審判では、「わたしはしていない、知らなかった」というような言い争いや反論はありません。この律法学者の良心が証ししたように、一人ひとりの良心が証しするからです。わたしたちは、それが神に喜ばれないことを知っていましたし、良心に従ってどう振る舞うのが正しかったかも知っていました。そして、もし間違った振る舞いをしたのなら、良心はわたしたちが自分を正当化することを許さないでしょう。

主が語られたたとえは、その文字どおりの意味では、ユダヤ人たちが考えていたように、同族の者や考えを同じくする者だけを隣人と見なしてはならない、と語っています。キリストは律法学者に、当時のユダヤ人が皆よそ者と見なしていた人でさえ隣人でありうることを、彼自身の良心が証ししていると示されたのです。だからこそ主は、ユダヤ人が軽蔑していたサマリア人を例に挙げられました。同時に主はこのたとえで、まさに愛と憐れみと善の行いこそが、わたしたちをも、善を行う相手のどんな人にとっても隣人にすることができる、と示しておられます。

このたとえの霊的な理解については、福者フェオフィラクトの解説によれば、追いはぎに襲われた人とは全人類のことです。追いはぎとは悪魔と悪霊どもです。傷ついた人のそばを通り過ぎた祭司とレビ人は旧い律法を意味しています。律法は何が善で何が悪かを説明することはできましたが、人を救いはしませんでした。そして最後に、サマリア人の姿で、ここには主イエス・キリスト御自身が現れておられます。

サマリア人が傷ついた人を連れて行く宿屋は教会を意味し、宿屋の主人は教会の牧者たちです。サマリア人が傷ついた人の手当てのために渡す二デナリオンは、旧約と新約です。古代の貨幣に王の像が刻まれていたように、旧約と新約にも等しく、天の王であるわたしたちの主の像が刻まれているのです。彼が傷ついた人の傷に油とぶどう酒を注いで手当てしたことは、教会の機密を意味しています。油は傅膏機密、ぶどう酒は聖体機密です。それを行ったのが宿屋の主人ではなくサマリア人であったことは、機密を行う方は牧者たちではなく、キリスト御自身であることを示しています。最後に、「この人の治療にこの二デナリオン以上の費用がかかったら、後で払います」というサマリア人の言葉は、教会の多くの牧者たちが自分の群れのために引き受けた労苦と出費を指しています。聖人伝からご存じのように、多くの人がそのために財産だけでなく、健康も、命そのものもささげました。主は再臨の時に戻って来られるとき、そのすべてに百倍にして報いてくださるでしょう。

この福音の言葉によって教えられて、わたしたちもキリストの教会にしっかりとどまり、聖書から学び、憐れみの業を行うよう努めましょう。善を行うことは、わたしたちの魂に光をもたらし、わたしたちをキリストに似た者とします。主が全人類とわたしたちに憐れみを示されたように、助けを必要としている人や災難に陥った人に憐れみを示すとき、わたしたちも少しは主に似た者となるのです。そして、この道を歩むなら、主がわたしたち皆を見たいと望んでおられる所、すなわち天の国にたどり着くでしょう。

(ロシア語からの訳。出典、ロシア語)

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Опубликовано пользователем: Rodion Vlasov
Создание страницы: 2026-10-25, обновление: 2026-10-25
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