エキュメニカル評議会の行為

エキュメニカル公会議の教会法規

『第一全地公会規則』ニケヤ第一全地公会規則

第一條

病中医師に陰茎を截断せられ或は夷民に閹割せられたる者は依然教衆たる可し。若し健康にして自ら閹割せし者は仮命(たとひ)教衆中に在りし者と雖も除黜す可きなり而して自今此の如き者を登庸す可らず。但し此事たる故意に之を行ひ妄りに自ら閹割する者を指すや勿論なり之に反して夷民或は主人に閹割せられたる者は若し其職に堪ふる時は規則(使徒規則二十一條)は之を教衆に加ふるを允許す。

已むを得ざるの事に由り或は其の他、人意に由りて教会規則(使徒規則八十條)に反するの事多く生じたり即ち異教の生活を棄て聖教に就きてより日尚浅く暫時啓蒙者たりし者を間もなく霊魂の浴盤に入れ而して洗後直に主教或は司祭の職に登庸するあり是故に以後決して此の如く行ふ可らざるを當然と認めたり。是れ啓蒙者にも時間を要し又洗後尚試験を為すを要すればなり。蓋し明に使徒の書に云ふ甫めて教に入る者よりせず恐くは自ら驕りて魔鬼の刑と網とに陥らんと(提摩太前書三章六節)若し時を経る間に霊の罪を認められ二人若くは三人の証者に定罪せられたる者は教衆より除黜せらる可し。之に反して行ふ者は敢えて大公会に抗する者として自ら教衆除黜の危難に服する者とす。

大公会確定せしこと左の如し主教或は司祭或は輔祭或は凡て教衆中に在る者は家に同居の婦を置くを許さず但し母或は姉妹或は伯叔母或は全く嫌疑無き者は此の限に非ず。

 此規則の主意は神品たる者の嫌疑を防ぐに在り故に此に制定せられし禁は唯無妻の司祭、輔祭及び副輔祭に関す可し蓋し夫婦相住むの家には妻について他の婦女居住するも疑を生ぜざるなり。

主教は其州中の悉くの主教にて立つるを最も適当なりとす。若し已むを得ざるの事故に由り或は道路の遠隔なるに由り之を行ふに不便なる時は少なくとも三主教一所に集会し、不参の者は書を以て同意を表し而して後按手を行ふ可し。各州に於て此の如き事を認定するは其の府主教(ミトロポリト)に属す。

凡そ主教等に其の各教区(エパルヒヤ)内に於て教会の親與を絶たれたる者に関しては教衆に属すると俗人たるとに論なく或主教に親與を絶たれし者は他主教にて受けらる可らざることを制定したる規則(使徒規則三十二條)を遵守す可し。然れども彼等或は主教の小量に由り或は争論に由り或は其の他之れに類するの不満に由りて親與を絶たれたるに非ざるなきかを審査すべし。故に此事の適当の審査を為すが為に至当と認めたること左の如し各州に於て一年に二回公会を為し凡て州中の諸主教一所に集会して此の如き紛議を審査し而して確然主教に対して不正なりと認められし者は衆人断然之を親與に受くるに堪えざる者と認定し以て諸主教の公会が更に寛大なるの決断を山宣告するを可とする時を待つ可し。公会は一は四旬齋期の前に於てす可し。凡ての不満を除却して神に潔浄の供物を献ずるが為めなり。又一は秋季の頃に於てす可し。

エギベト、リウィヤ、ペンタポリに行はれ来れる舊慣を遵守しアレキサンドリヤの主教は此等諸教会の上に権を有す可し。蓋しロマ主教にも亦此例有り。又同くアンティオヒヤ及び其の他の諸州に於ても教会の特典を守る可し。凡て左の事明白たる可し。則ち凡そ府主教(メトロポリト)の許なくして主教に立てられたる者は大公会其者の主教たる可らざるを定めたり。若し衆人の公選其の當を得て教会の規則に適合するも二三人自己の好辨に由りて之に抗する時は選挙者の多数の意見之に勝つ可きなり。

エリヤ(イエルサリム)に居るの主教を敬重す可き慣例古傳確定するに由り彼れは首府(ミトロポリヤ)に予へられたる特典を保有して名譽の順を有す可し。

嘗て自ら潔浄者と稱せし者にして公、使徒の教会に合する者は聖大公会之に手を按して依然教衆たらしむべきを適当と為す。彼等は先づ書を以て公、使徒の教会に合し其の制規に順従す可きこと即ち再婚者及び窘逐の時倒れたる者の為には悔改の時間も定められ赦罪の期限も定めらるるを以て之れを教会の親與に受く可きことを証す可し。彼等萬事に於て公教会の制規に順従す可きを要す。故に凡そ邑村若くは市府に於て教衆たる者唯彼等より接手を受けたる者なる時は其の位に居る可し。若し公教会の主教有る所に於て彼等の中より教会に帰依する者あれば正教会の主教は主教の位を有し而して潔浄者と稱する者の所謂主教は司祭の尊敬を有す可きこと勿論なり但し該地の主教は其の者も主教の名称の尊敬に與かることを可とする時は此限に非ず。若し主教之を欲せざれば形式上之を教衆に加ふるが為め「ホレエビスコプ」若くは司祭の任所を設け以て一市府に二主教有らざらしむべし。

 ロマ教会の司祭「ノワト」党派の異端者自ら潔浄者と稱せり彼等窘逐の時倒れたる者を悔改に受けず、再婚者は決して之を教会の親與に受く可らざるを教へ自ら以て己の社会の潔浄は此の傲慢不人情の説にありと為せり。

試験を経ずして司祭に挙られたる者若くは試験の時己の罪を告解したれども其の告解の後規則に違背して按手せられたる者あれば規則(使徒規則二十五條)は此の如き者に聖務を行ふを許さず。蓋し公教会は必ず無玷を要するなり(提摩太前書三章ニ節)。

若し棄教者たる者、登庸者の不知に由り若くは知りて教衆に挙られたるときは教会規則の効力を弛めず。蓋し此の如き者は発覚の後聖位を除黜せらる可し。

十一

リキニイの窘逐の時の如く強迫に因り若くは財産没収の故に因り若くは危害に因り若くは其の他之に類するの事に依るに非ずして教を棄てたる者には慈憐を加ふべきに非ざれども公会は之を優恤す可きを定めたり。故に誠心に悔改する者は三年間信者の如く誦経聴聞人の中に在り七年間聖堂に俯伏して赦罪を請求し二年間聖機密を領するの外人民と共に祈祷に與かる可し。

十二

恩寵にて教を認むるに召され初め熱心の熾んなるを顕はして軍帯を脱せしも其の後犬の如く転じて其の吐きたる物を食はんとし或は金銀を用ひ或は賄賂を以て軍職に復するに至りし者あり此の如き輩は三年間啓蒙所に在りて聖書を聴聞せし後十年間聖堂に俯伏して赦罪を請ふ可し。凡て此事に於ては宜しく当人の心地と悔改の情状を酌量す可し。蓋し外儀を以てせず恐懼、流涕、忍耐、慈恵を以て実行上に反正を証する者は定時間聴聞せし後祈祷に與からしむるは至当なり。加之主教は猶之に慈憐の処置を施して可なり。然れども己の犯罪を軽視し唯聖堂に入るの一事を以て自ら反正に足れりと為す者は之をして全く痛悔の時限を遵行せしむ可し。

十三

臨終の者に関しては今も古の律法規定を守り臨終者をして最後の且最も緊要なる引導を受けざるが如き事なからしむ可し。若し既に生存の望なくして領聖し而して再び生に復る時は唯祈祷に與かる者の中に加はる可し。凡て臨終の者は何人たるを問はず凡そ聖體を領するを請ふ時は主教の吟味を以て之に聖賜を授く可し。

十四

啓蒙者にして倒れたる者に関しては聖大公会は之に三年間唯聖書聴聞人の中に在り而して後啓蒙者と共に祈祷す可きを適当と為す。

十五

多くの紛擾及び生起せし紛乱の故に由り使徒規則に反して或地方に行はるるの風習は全く禁止す可きを議定したり即ち主教或は司祭或は輔祭は一市府より他の市府に移転す可らざること是なり。若し此聖大公会の制定の後此の如き事を企て若くは自ら己れに対して此の如き事を為すを許す者ある時は其の処置を以て全く無効の者と為し移転せし者は其の主教或は輔祭に按手せられたるの教会に返さる可し。

十六

司祭或は輔祭或は凡て教衆に属する者軽率にして且つ眼前に神を畏るるの心なく、教会の規則(使徒規則十五條)に通暁せずして自己の教会を離るる時は他の教会に於て決して之を受く可らず之に諸般の説諭を加へ其の管区に帰らしむ可し執拗して聴かざれば之に親與を絶つ可きなり。又若し誰か妄りに他人の管轄属する者を奪ひ之を其の本主教即ち其の教衆に属する者が避けし所の主教の承諾を経ずして按手する時は其の按手は無効の者たるべし。

十七

教衆に属する者、貪欲、利欲に耽り聖書に銀を貸して利を取らず(聖詠十四ノ五)と云へるを忘れ、貸附けを為して百分の利を要求する者多きに由り聖大公会裁定せしこと左の如し若し此の制定の後貸金の利息を取る者若くは他の方法を以て此の業を営む者若くは半利を要求する者若くは其の他耻づべき利慾の為に何事をか企つる者あれば教衆より除黜せられ神品の部類より除かる可し。

十八

聖大公会聞く所に依るに奉献するの権なき者が奉献する者にハリストスの體を授与することは規則にても慣例にても傳はらざるに或る地方及び或市府に於て輔祭が司祭に聖體機密を授與する事ありと。且つ補祭にて主教に先だち聖體機密に触るる者さへ有りとのこと判明せり。故に宜く此等の弊を一掃し輔祭は己れ主教の役者にして司祭より下位の者たるを知り己の分に止る可し。彼等宜しく順次に由りて司祭の後に主教或は司祭の授与する聖體機密を領すべし。又輔祭は司祭の間に並座することも許さず。蓋し是れ規則に由らず亦順序に由らざる者なり。若し此の制定の後聴従するを欲せざる者あらば其の輔祭職を停禁す可し。

十九

「パウリアン」党人にして後、公教会に應ぜし者に就ては凡て復び之に施洗す可きの制を定む。若し前に教衆に属せし者にして無玷且つ責む可きなき者は再洗の後公教会の主教之を按手す可し。若し試験に由りて彼等の神品たるに堪へざるを発見する時は聖位を除黜せらる可き者とす。又女輔祭及び凡て教衆に属する者に関しても同じく此のを遵行す可し。女輔祭とは我等衣服に由りて斯く稱せらるる者を云ふ。但し彼等は按手を受けたることなきが故に全く俗人に加へらるるを得可し。

二十

主日及び五旬日に膝を屈むる者あるに由り各教区(エパルヒヤ)に於て皆同規を守らんが為め聖公会は立て神に祈祷するを可とす。

『第ニ全地公会規則』コンスタンティノポリ第ニ全地公会規則

第一條

コンスタンティノポリに集会せし諸聖父議定せしこと左の如しウィフィニヤなるニケヤの公会に会せし三百十八人の諸父の信経は廃す可らず宜しく変易せずして存すべし、諸異端は「アナフェマ」に處せらる即ち「エウノミイ」党「アノメイ」党「アリイ」党若くは「エウドクシイ」党、半「アリイ」党若くは抗聖神者「サウェリイ」党「マルケル」党、「フヲティン」党及び「アポリナリイ」党の異端是なり。

州主教は其の州の区域外の教会に己の権を及ぼして教会を混す可らず乃ち規則に循ひてアレキサンドリヤ主教は唯エギベトの諸教会を治理し、東方の主教等はニケヤの規則にて認定せられたるアンティオヒヤ教会の特典を保有して唯東方を治理す可し、又アシヤ州の主教は唯アシヤを治理しポントの主教は唯ボント州の事を管理しフラキヤ主教は唯フラキヤの事を管理す可し。主教は招かるるに非ざれば己の州の区域外に至りて按手を行ひ或は其の他教会の事務を処理す可らず。教会の州に関する前記の規則を循守しつつ各州の事務はニケヤに於て定められたる如く其州の公会にて議定す可きは勿論なり。異族民の間に在る神の教会は今に至るまで遵守されし諸父の慣例に循て治理す可し。

コンスタンティノポリの主教はロマ主教に次て名譽の特典を有す可し何となれば此の都会は新ロマなり。

マクシム、キニク及び彼れがコンスタンティノポリに生じたる紛擾に就きてマクシムは主教にあらざりし且主教にあらず凡そ彼に由りて教衆の位に立てられたる者も亦然り、凡そ彼の為に行ひし事及び彼れが行ひし事は悉く無効なりとす。

西方ノの巻軸に関してはアンティオヒヤに在りて父及び子及び聖神の惟一の神性を信認する者も我等之を受く。

 茲に巻軸と云うはニケヤの信経を公認確定せしサルディキヤ公会の規定を記せし西方主教の軸巻を指して云へり。

教会の規律を紊乱廃滅せんと欲し悪意を以て讒誣的に教会を治理する正教の主教に対し其罪を捏造する者多し是れ唯神品者の名譽を傷つけ平穏の民に争乱を生ぜんとするの意に外ならず依てコンスタンティノポリに会せし主教の聖公会議定せしこと左の如し凡そ審査せずして告訴者を受理す可らず諸人に教会の治理者に対し告訴を提起するを許す可らず但し又悉く之を拒む可からず。然れども若し主教に対して其の一身上に関する事例へば財産の剥奪若くはその他彼より不義を蒙りたる事に就いての私訴を提起する者ある時は該告訴に関しては告訴者の何人たると其の宗教とを問ふ可らず。蓋し一は主教の良心を釋然たらしめ一は自ら侮辱せられたりと公言する者に其の如何なる宗教を奉するに拘わらず公判を與ふることを努めざるべからず。若し又主教を訴へたる罪にして教会の事に関すれば告訴者の何人たるを検査す可し。第一異端者には教会の事に由りて正教の主教に対し告訴を提起するを許す可らず。我等の異端者と称するは即ち曾て公然教会より絶たれし者と其の後我等が「アナフェマ」に處せし所の者及び其の他正しく我等の宗教を信奉する者の如く偽装すと雖ども分離して正規に由りて立てられたる我等の主教に背反して集会を為す者を云ふ。又若し教会に属する者たりとも或罪の為め前に定罪除斥らられ若くは教衆或は俗人中より絶たれたる者は其の自ら蒙りたるの訴件より己を潔ふするに非ざれば、之に主教を告訴するを許す可らず。又前に自ら告訴せられし者より主教或は其の他教衆の者に対するの告訴は判然其の之に帰せられたる告訴の無實なるを証明せざる以上は受理す可らず。若し異端者にもあらず教会の親與を絶たれし者にもあらず定罪せられたる者にもあらず若くは前に何の罪過にも告訴せられたるにも非ざる者教会の事に就て主教を告訴せんと欲すと云ふ時は聖公会は先づ其の州中の諸主教に其告訴を提起し其前に於て答辨すべき主教に対し証憑を挙げて己の告訴を証明す可きを命ず。而して若し合併したる若干教区(エパルヒヤ)の主教等は意外にも主教に蒙らしめたる告訴に就きて秩序を回復すること能はざる時は原告は此事件に由て招集せらるる大州主教等の大公会に告訴す可し然れども預め書を以て若し事實審査の後被告の主教を誣告したること露顕する時は被告と同様の罰を受く可しとの恐れの下に己を置くに非ざれば覆審を主張すること能はず。然れども若し以前の審鞠に由りて定められたるの判決を蔑視し或は王聴を煩はし或は世俗官長の裁判若くは全地公会を煩はし以て州主教等の名譽を侮辱せんとする者あらば是の如き輩は規則を凌蔑し教会の規律を破る者たるほ以て決して告訴を受理す可らず。

異端者の中より正教に合し救はるる者の数に加はる者は左の條規及び慣例に由りて之を受く可し即ち「アリイ」党、「マケドニイ」党「サワティイ」党并に自ら潔浄者及び善人と称する「ノワト」党、十四日者若くは「テトラデイト」等及び「アポリナリイ」党は手書を以て聖・公・使徒の神の教会の教ふる如く教へざる諸異端を詛ふ時は印記して之をく可し即ち聖膏を以て第一に額に膏し次に目及び鼻口耳に膏し而して之を印する時聖神の恩賜の印記と唱ふ可し。又一次浸没を以て施洗する「エウノミイ」党爰にフリギヤ人と称する「モンタニスト」党及び父と子と一位なりとの説を持し及び其の他忍ぶ可らざる事を行ふ「サウェリイ」党并に其の他の諸異端者(蓋し爰に此の如き者多し特にガラティヤ地方より出たる者なり)の中より正教に合せんと欲する者ある時は悉く異教人の如くにして之を受く可し即ち第一日に之を「ハリスティアニン」と為し第二日に啓蒙者と為し而して後第三日に三次其の顔と耳とに息嘘きて之を咒詛し此の如く之を啓蒙するに及び之をして聖堂に止まり聖書を聞かしめ而して後之に洗礼を授く可きなり。

『第三全地公会規則』エフェス第三全地公会規則

第一條

教会の事故に由り若くは身體の故に由り聖公会に臨席せずして己の任所或は市府に止りたる者にも此の公会に於て制定せし所のことを知らしめざる可らざるに因り爾等聖にして愛す可き者に報ず。若し或州の府主教にして聖全地公会に背反して背教徒の党に加はりし時若くは此後加はる時又はケレスティイの説を受けし時若くは此後受くる時は自今既に公会にて悉く教会の親與を絶たれ既に本務に非ざる者として其の州の主教等に対し決して何事も為す能はず。且つ全く之を主教の位より除黜するが為め其の州中の正教を奉ずる諸主教及び近隣の府主教等に審鞠せらる可し。

若し教区(エパルヒヤ)を有するの主教聖公会に臨席せずして背教に加はりたる時若くは加はらんと欲する時又はネストリイの逐斥に署名しつつ背教徒の党に転ぜし時は聖公会の命に由りて全く神品より除かれ其の位を除黜せらる可き者とす。

各市府或は邑村に於て教衆に属する者にして正教を奉ずるが為にネストリイ及其の徒党に神品職を奪はれたる者には我等其の位に復するの権利を與へり。凡て正教全地公会と同説なる教衆の者は決して正教に背きし者或は背くの主教に従属す可らざるを命ず。

若し教衆たる者背反して私かに若くは公然とネストリイ或はケレスティイの説を奉ぜんと欲する者あれば聖公会は彼等をも同じく聖位より除黜するを至當と認めたり。

若し不合法なる行為の為に聖公会若くは本主教に定罪せられし者有る時ネストリイ及び其の党人は定規に反し其の専横の所為ょ以て彼等に教会の親與若くは神品の位を復せしことあり或は復せんとすることあれば我等其の事の無効たるべきを至當と認めたり彼等は依然聖位を除黜せられたる者たる可し。

又同じくエフェスの聖公会に於て制定せられしものを変更せんと欲する者あれば聖公会若し主教或は教衆に属する者なれば全く其の位を除黜せられ俗人なれば教会の親與を絶たる可き者と議約定せり。

此を誦読せし後聖公会議定せしこと左の如しニケヤ府に聖神と共に集会せし諸聖父確定せし者の外何人にも他の教理を口述し或は書し或は編成するを許す可からず。若し敢て他の教理を編成して或は異教或はイウデヤ教或は凡そ其他の異端より反正して眞理を識らんと欲する者に示し或は勧むる者は若し主教或は教衆に属する者なれば主教は主教の職、教衆は教衆の職を免ぜらる可し俗人なれば「アナフェマ」に處せらる可し。又同く主教或は教衆或は俗人にして若し司祭ハリシイの提出したる神の獨生子の藉身に関する説若くは之に附加せしネストリイの不浄にして壊傷せる定理を主張し若くは之を教ふること露顕する時は此の聖全地公会の決議に服す可し即ち主教は主教の職を免ぜられて除黜せられ教衆は同く教衆より除黜せらる可し俗人は前述の如くアナフェマに處せらる可し。

 公会に於てこの規則を定むる前にニケヤの信経及びフィラデルフィヤの司祭ハリシイの公会に提出したる変壊せる信経を誦読せり。

最も神に愛せらるる我等の同主教リギン及び之と共に居るキブル州の最も敬粛なる主教ジノン及びエワグリイは教会の定規及び聖使徒の規則に反して衆人の自由を妨害せんとする新事の起こりたるを報ぜり。世に流行するの病は大害を醸すを以て厳重なるの治方を要し且つ殊に最も敬粛なる人々聖公会に来り書を以て言を以て我等に報ぜし如くアンテオヒヤ府の主教はキプルに於て叙聖を行ふの舊慣なきに由りキプルの聖教会を治管する者は彼等の干渉圧虐を受けず。諸聖父の規則と舊慣に循ひて自ら最も敬粛なる主教を立るの自由を有す可し。其の他の諸州及び各教区(エパルヒヤ)に於ても皆同く之を遵守す可し即ち最も神に愛せらるる主教は曾て最初より己れ若くは其前任者に属せざる他の教区(エパルヒヤ)に其の権を及ぼす可らず若し或は権を及ぼし脅迫的に他の教区(エパルヒヤ)を従属せし者あれば宜しく之を還附し諸父の規則を破る可らず聖務執行の口実の下に世の権威の傲慢を隠蔽す可らず且つ吾主イイススハリストス萬人の救者が己の血を以て我等に與へたる自由を少許づつ不識不知の間に失ふ可らず。依りて聖全地公会定むること左の如し凡ての教区は古より慣例に由りて碓定したて最初より之に属せし権利は圧虐を受けずして完全に之を保守す可し。府主教は各々己の証と為すが為め自由にして此定規の写を取るを得可し。若し今議定せし所に反するの定規を示す者あれば聖全地公会之を無効の者と為す可き事と定む。

同上第三聖全地公会パンフィリヤの聖公会に其の前府主教エウスタフィイの事に就て遣はすの書

 聖書に萬事相議して行ふ可し(箴言三十一章四節)と云ふに由り就中聖務の籤を受たる者は凡そ其の行ふ可き事に細心注意を加へざる可らず。蓋し斯の如く己の生命を送らんと欲する者は安然なる地位に居り恰も順風によるが行く己の望みの向ふ所に徒て行かんとす。此の言最も眞なるに似たり。或は時として辛艱忍ぶ可らざるの憂悲人智を圧迫し太だ之を錯乱して其の當さに行ふべき事に向ふの念を飜し眞実宜しからざる者を以て有益の者の如く思はしむることあり。我等最も篤実にして且最も敬虔なる主教エウスタフィイに此に類するが如きこと有るを認めたり彼れが教会の規則に循ひて按手せられたることは巳に証明せられたる如し。言ふが如くんば彼れ或者に心を乱され不図の事件に遇ひ而して甚だ働なきの故に由り其煩労と戦ふに由りて疲困し其の反対者の謗言を反駁する能はずして何故にや其の教区(エパルヒヤ)よりの辞表を提出したりと。蓋し彼は一旦聖治の任務を受けたれば心霊の剛毅を以て之を保守し恰も労苦に向ひて戒厳するが如くし欣然として報賞を約するの汗を忍受せざる可らず。然るに彼は緩慢怠惰に由ると云はんより寧ろ働なきに由るとは雖ども一旦自ら不親切の者たるを示せしに由り敬虔なる卿等は教会を治理するが為め巳むを得ざるによりて最も敬粛且最も敬虔なる我等の兄弟、同主教フェヲドルを按手せり蓋し教会は孤立す可らず救世主の群に司長の欠く可らざるを以てなり。然るに彼れ流涕涕して来り前記の最も敬虔なる主教フェヲドルと都会若くは教会を相争ふに非ずして唯主教の尊敬と其の名称を保たんことを請へり故に我等此の老人の為に痛嘆し彼の流涕に同情を表し速に彼れは合法的に除黜せられたるや若くは彼の名譽を傷つけんとする者ありて単に些少の錯行の為に罪せられたるや否やを探究せり。而して我等は彼に毫も此の如きの所為なく其教区(エパルヒヤ)を辞したるを以て特に其罪とせられたるを知れり。故に我等亦敬虔なる卿等が彼の代りに當然にして前記の最も敬虔なる主教フェオドルを立てたるを非とせず。然れども亦甚だ此人の働なきを誹謗す可らず殊に己の故郷を去り斯く久しく父家を離れ居たるの老人を憐愍せざる可らざるに因り我等至當に裁決議定せしこと左の如し彼は無論主教の名称、尊敬及び親與を有す可し唯按手を行はず教会を管有せず擅に聖務を行はざる可し然れども或は兄弟及同主教たる者に招かるるか又は其好意とハリストスを愛するとに由りて之に許すこと有る時は此の限りに非ず。若し卿等彼れの事につき如今若くは今後更に寛大なるの議を立るあらば則ち亦聖公会の嘉みする所たる可し。

『第四全地公会規則』ハルキドン第四全地公会規則

第一條

諸聖父の各公会に於て今に至るまで述べたる規則は我等遵守するを至當と公認せり。

若し主教金銀の為に按手を行ひ不可賣の恩寵を化して賣物と為し金銀の為に主教或は「ホレエピスコプ」或は司祭或は輔祭或は其の他凡そ教衆に属する者を立て又は金銀の為に主計(エコノム)或は「エクディク」或は「パラモナリイ」若くは凡て嫌悪すべき利慾の為に人を教会の職に登庸し而して此事を行ひたるを罪せられたるときは其者は自己の職位を褫奪せらる可く又彼等に立られたる者は決して其の買ひ得たる所の按手若くは登庸を利用すべからず乃ち金銀を以て得たる所の位若くは職を褫奪せらる可し。又斯く可悪且不法なるの利慾に媒介する者あるに於ては其者若し教衆の者なれば其の位を除黜せらる可し俗人若くは修士なれば「アナフェマ」に附せらる可し。

 「エクディク」訳すれば弁護者なり。其職は教会の事に由りて官長の前及び裁判に於て窮人及び寃罪を蒙りて困難する者の為に代訴するにありき。

 「パラモナリイ」訳すれば監守者なり。其の職は常に聖堂に居りて来拝者を守護し其便を図るにありき今「ポノマリ」と称するもの之が略語なり。

聖公会は教衆に属する者にして可憎貪欲の為に他人の財産を抵當に取り俗事を営みて神の務めを等閑にし俗人の家を歴遊して利慾の為に財産の依托を受くる者ありと聞く。是故に聖大公会議定せしこと左の如し以後主教或は教衆或は修士は財産を抵当に取り並に俗事の処置に干與す可らず但し法に由りて幼年者の為に避く可らざるの後見を命ぜられ若くは都府の主教之に教会の事務或は援助なき孤児寡婦の事又は神を恐るるの心を以て特に教会の扶助を施す可き人々の事を慮るべきことを委任する時は此の限りに非ず。若し以後敢て此の制定を犯す者あれば教会の罰に服せらる可し。

誠心誠意に修道の過活を為す者は相当の尊敬を受く可し。然れども唯外見の為に修道士の衣服を用いて教会及び國家の事を擾乱し擅に市中を徘徊し或は甚しきは自ら己の為に修道院を建設せんことを企つる者あるに由り議定せしこと左の如し凡そ何人たりとも都府主教の許可を得ざれば何處にも修道院若くは祈祷室を建造創立す可らず。各市府及び各地に於て修道の業を修むる者は主教に従属し常に其の隠遁したる所を離れずして静黙を守り唯持齋祈祷を勉め教会の事にも世俗の事にも干渉す可らず己の修道院を去りて此等の事に千與す可らず唯已むことを得ざるの必要あるに由りて都府の主教に許可せらるる時は此の限りに非らず。凡そ僕は其の主人の許なくんば修道院に受けて修道士と為す可らず。此の我等の制定を破る者は我等之に教会の親與を絶ちて神の名を涜す可らざるを定めたり。但し都府の主教は宜く修道院の事を慮るべきなり。

一都府より他府に移転する主教或は教衆に関しては諸聖父の制定せし規則全然其の効力を有す可きことを議定せられたり。

凡そ司祭或は輔祭及び其の他教会の職位には被按手者の任處即ち都府若くは邑村の教会若くは致命者の堂若くは修道院を任定するに非ざれば断じて按手す可らず。聖公会は確定の任處なくして按手せられたる者に関し議定せしこと左の如し其の叙聖は無効の者と為し何處に於ても之に聖務を行ふを許す可らず、以て之を立てたる者を辱かしむ可し。

一旦教衆或は修士に加へられたる者は軍務或は官職を受く可らずと議定したり、若し敢て之を為せし者悔改して前に神の為に撰びたる職に反帰せざる時は「アナフェマ」に處す可し。

救濟院修道院及び致命者の堂に在る教衆は諸聖父の傳に従ひ各都府の主教の権下に属して漫りに己の主教の管下を脱す可らず。其の方法の如何を問はず凡そ敢て此の制定を破り己の主教に従属せざる者は若し教衆なれば規則に循ひ罰に服せらる可し修士若くは俗人は教会の親與を絶たる可し。

若し教衆の者教衆に対して訴訟の事件あれば己の主教を棄てて世俗の裁判所に告訴す可らず。乃ち初め己の主教に由りて其の事件を裁判せらるべく若くはハ共主教の意に由りて両造より選ばれたる者之が裁判を為す可し。之に違反して行ふ者は規則に循ひ罰に服す。若し又教衆たる者己の主教或は他の主教に対して訴訟の事件あれば州公会に於て裁判せらる可し。若し主教或は教衆其州の府主教に対して不満の事あれば大州の「エクザルフ」若くは王城コンスタンティノポリの寶座に告訴し其の前に於て裁判せらる可し。

教衆は同一時に二都府の教会即ち初め按手せられたるの教会と虚栄を欲するよりして転じたる大教会に属するを許さず。之を為す者は初め按手せられたる本教会に之を送還し唯彼処に於て勤めしむ可し。又一教会より他教会に移転せられたる者は前の教会に属するもの即ち該教会に属する致命者の堂或は救済院或は旅館等に毫も干渉す可らず。此大全地公会の制定の後敢て今禁制せられたる事を行ふ者は聖公会其の位より黜く可きを定めたり。

十一

凡そ貧困にして扶施を要求する者には其の貧困を確かめたる上教会の和親状を給して通行せしむ可きを定めたり但し紹介状を與ふ可らず。蓋し紹介状は唯嫌疑ある者に與ふ可きものなり。

十二

我等聞く所に依るに教会の規律に反して官権に依頼し官府の令状を以て一州を分割して二と為し是に由て一州に二人の府主教を立てんとする者ありと。是故に聖公会は以後主教たる者決して此の如き事を行ふ可らざるを定めたり。蓋し此の事を企つる者は其位を除黜せらる可し。國王の詔に由りて首府(ミトロポリヤ)の尊称を得たる市府并に其の教会を治理する主教は唯名譽のみを以て満足し、眞の首府(ミトロポリヤ)に属する固有の権利を保全すべし。

十三

他の都府に於て知られざるの教衆は其本主教の紹介状を有するに非ざれば決して何の處に於ても聖務を行ふ可らず。

十四

或教区(エパルヒヤ)に於て誦経者及び唱歌者に婚配を為すを許すものあり依て聖公会議定せしこと左の如し凡そ彼等に他宗の女を娶るを許す可らず既に此の如き婚配に由りて生れ曾て異端者に由りて領洗せし子は之を公教会の親與に入る可し其の未だ領洗せざる者は異端者に由りて之に領洗せしむ可らず異端者若くはイウクデヤ人若くは異邦人と婚配をも為さしむ可らず但し正教人と配偶する者正教に転ずるを約する時は此の限りに非ず。此聖公会の制定に違背する者は規則に循ひ懲罰(エピティミヤ)に服す可し。

十五

女輔祭は四十歳以下に非ざる女にして且精確なる試験の後に之を立つ可し。若し按手を受け暫時勤務を為して後婚配を為す者あれば神恩を辱かしめたる者として之と配偶したる者と偕に「アナフェマ」に處せらる可し。

十六

主神に己を献じたる處女及び修道士には婚配を為すを許さず。若し之を行ふ者あれば教会の親與を絶たる可し。但し我等本地の主教は此の如き者に慈憐を施すの全権を有す可きを定めたり。

十七

各教区(エパルヒヤ)に於て邑村或は郭外に在るの司祭管区は変ずることなく其の之れを管理する主教の権下に従属す可し就中三十年の間無論にして其の管区を管轄治理せし者に対して然りとす。若し、三十年を過ぎざるに或は其の管区に関して争論起るあらば自ら侮辱せられたりと為す者は州公会の前に其事を訴ふるを許す可し。若し又己の府主教に侮辱せられたりと為す者は前に云ひし如く大州の「エクザルフ」若くはコンスタンティノポリの寶座の前に於て裁判せらる可し。然れども若し王の権を以て新たに都府を置かれたる者若くは以後置かるる時に教会管区の区画は國家及び土地の等順に従ふ可し。

十八

悪謀を企て若くは徒党を作ることは犯罪として國法にても全く禁ぜらる。然らば矧んや神の教会に於ては宜しく之を禁制して此の如きことあらしむるを致す可らず。故に若し教衆の者或は修道士たる者亙に誓約を為し若くは徒党を作り若くは主教或は己の同僚を陥れたること露顕する時は全く其の位を除黜せらる可し。

十九

我等聞く所に依るに諸州に於て規則を以て制定せられたる主教の公会を為さず之に由りて教会の修正す可き数多の事件を顧みざるものありと。是故に聖公会は諸聖父の規則に準拠して議定せしこと左の如し各州に於て諸主教一年に二回首府の主教の定めたる所に集会し凡そ露顕する所の事を修正す可し。若し主教己の市府に在り且健康にして凡ひ緊要不可避の事業あるに非ずして公会に来らざる時は兄弟の愛を以て之を苦諫す可し。

二十

我等已に制定せし如く一教会に定められたるの教衆は他府の教会に転ずるを許さず其の初め勤務を命ぜられたる教会を以て満足せざる可 か[らず。*] 唯己の生國を失ひ不得已に由りて他教会に転ぜし者は此の限りに非ず。若し主教此の制定の後他主教に属するの教衆を受くる時は我等受けられたる者并に受けたる者も其の移転せし教衆が己の教会に帰還するに至るまで教会の親與を絶たる可き者と裁定せり。

   [*]校正・入力者注・・・原本に欠落あり。[]内は校正入力者の補遺

二十一

教衆若くは俗人の主教或は教衆に対する告訴は直に審査せずして受理す可らず乃ち預め彼等の事に関する公衆の意見を探る可し。

二十二

既に古時の規則(使徒規則四十條)にても禁ぜられたる如く教衆は己の主教の死後之れに属する物品を竊取するを許さず。之を為す者は其位を除黜せらるるの危難に服せらる可し。

二十三

聖公会聞く所に依るに教衆及び修道者にして己の主教より何等の委託をも受けず甚しきは教会の親與を絶たれながら王城コンスタンティノポリに至り久しく彼処に居住して紛擾を生じ教会の規順を破り甚しきは人家を擾乱する者ありと。依りて聖公会議定せしこと左の如。第一コンスタンティノポリの至聖なる教会の「エクディク」を以て之に王城を去る可きを説諭すべし。若し尚ほ恬然として此の事を行ふ時は同じく「エクディク」を以て強て王城を去らしめ其本地に送還す可し。

二十四

曾て主教の許に由りて成聖せられたる修道院は永久に修道院と為し之に属する物品は保存して以後之を俗人の住家と為す可らず。之を為すを許す者は規則に循ひ罰に服す可し。

二十五

我等聞く所に依るに府主教にして其の委任せられたる被牧者のことを慮らずして主教の叙任を遷延する者ありと、依りて聖公会議定せしこと左の如し主教の叙任は三ヶ月の間に行ふ可し但し不可避の事故あるに由りて其時期を遷延するは此の限りに非ず之を行はざる者は教会の懲罰に服す而して孤立する教会の収入は其の主計(エコノム)に於て全く之を保管す可し。

二十六

我等聞く所に依るに或教会に於て主教は主計(エコノム)に依らずして教会の所有物を管理する者ありと依て議定せしこと左の如し凡そ主教を有する教会は其教会の教衆中より主計(エコノム)を任定し之をして其主教の旨に由りて教会の所有物を管理せしむ可し是れ教会財産管理上に必ず証人を立つるを要すると之に由りて教会の所有物を浪費せず神品者に誹謗を来さざらんが為めなり。若し之を行はざる者あれば聖規則に循ひて処分せらる可し。

二十七

結親の為に婦女を強奪する者或は強奪者に助力する者若くは可認する者について聖公会議定せしこと左の如し若し教衆なれば其位を除黜し俗人は「アナフェマ」に處す可し。

二十八

萬事諸聖父の定規に循ひ并に今誦読せられたる敬虔にして追念すべきフェオドシイの時王城コンスタンティノポリ、新ロマの公会に集会せし一百五十人の最も神に愛せらるる主教等の規則を認定して我等も亦此のコンスタンティノボリ、新ロマの至聖なる教会の特典を碓定す蓋し諸父が舊ロマの寶座に特典を與へたるは其王城たりしを以て至当なりとす。一百五十人の最も神に愛せらるる主教等も此趣意に準拠して新ロマの至聖なる寶座に同等の特典を與へ至当に議せしこと左の如し國王及び大議院(シンクラト)の府たる名譽を得舊都ロマと同等の特典を有するの府は教会の事に於ても之と同じく尊崇せられ其の次に位すべし故に唯ポント、アシヤ及びフラキヤ諸州の府主教并びに此諸州に属する異族民の主教等は前記コンスタンティノポリの至聖なる教会の至聖寶座に由りて立らる可し即ち前記諸州の府主教は各々聖規則にて制定せられたる如く州中の諸主教と相共に教区(エパルヒヤ)を有するの主教を立つ可し。而して前記諸州の府主教は慣例に従ひ合同の選挙及び具申に由り前に云ひし如くコンスタンティノポリの大主教に由りて立らる可し。

二十九

主教を司祭の位に貶するは攘聖の罪なり若し之をして主教の行務を為す能はざらしむる正當の事故ある時は司祭の位置にも居る可らず。若し又毫も故なくして己の位を黜けられたる時は主教の位に復せらる可し。

三十

今エギペトの最も敬粛なる主教等は公教会の教に反抗せんが為に非らず乃ち唯エギベト州に行はるる慣例に由りて凡そ己の大主教の認可裁定に由らざれば決して此の如き事を行ふ能はずと為して至聖なる大主教レオの書に署名することを遷延し大都アレキサンドリヤの主教の立つに至るまで之を延期せんことを請願す依りて我等之に其の位を保有して王城に止まり大都アレキサンドリヤの大主教の立つに至るまで之に延期を與ふるを以て公義且仁慈の事と認定せり。故に彼等己の位に在りて或は若し能すべくんば保人を立つ可し若しくは誓約を以て嫌疑を排す可し。

『第五ー六全地公会規則』。。。

『第七全地公会規則』ニケヤ第七全地公会規則

第一條

神品の位を受けたる者は既に議定せられたるの規則律例を以て啓示と為し指導と為し欣々之を遵奉して神の預言者ダウィドと共に主・神を謳歌す可し曰く我爾が啓示の道を悦ぶこと諸の貨財を悦ぶが如し(聖詠百十八ノ十四)又曰く爾の命ぜし啓示は義なり爾が啓示の義は永遠なり我を悟らせ給へ則ち我生きん(聖詠百十八ノ百三十八,百四十)若し夫れ預言者の言既に我等に永く神の啓示を守り之に循ひて生活す可きを命ずとせば其の啓示の損傷せず変更せずして永存するや勿論なり。蓋し神を見たるのモイセイ亦曰く之を増す毋れ亦之を減する毋れ(復傳律例書十二章三十二節)又聖使徒ペートルは之を頌讃して曰く神使も之を察せんと欲す(彼得前書一生十二節)又パウェル曰く或は我儕或は天よりの使者若し我儕曾て爾曹に傳へし者に異なる所の福音を以て爾曹に傳ふるあらば則ち詛はるべし(加拉太一章八節)此の事や眞實にして且確然我等に証明せられたるを以て我等は恰も巨利を獲たる者の如くに之を悦び欣然として聖規則を受け聖神の聖角たる讃栄すべきの使徒及び聖全地六公会及び此の如き誡命を編成するが為に地方に集会せし者并びに我等の諸聖父の述べたる諸規則の完全変更す可らざる規律を遵奉せん。蓋し彼等は皆同一の聖神に啓発せられて有益の事を制定せり。故に彼等の「アナフェマ」に處する者は我者も「アナフェマ」に處し彼等の除黜する者は我等も除黜し彼等の親與を絶つ者は我等も之を絶ち、彼等の懲罰(エピティミヤ)に服する者は我等も亦之に服せん。蓋し三層の天に昇りて不可言の言を聞きたる神の使徒パウェルは明言して曰く貪婪の所為有る勿れ有する所を以て足れりと為せ(希伯来十三章五節)

我等聖詠に於て神に爾の誡命を学び爾の言を忘れず(聖詠百十八ノ六節)と約するに由り凡そ「ハリスティアニン」たる者亦皆己の救贖の為に之を遵守す可し神品の位を受けたる者は殊に然りとす依りて議定すること左の如し凡そ主教の位に登崇せらるる者は必ず聖詠に通暁し且悉く其の教衆の者にも之を学ぶことを諭す可し。又府主教(ミトロポリト)は彼の主教が疎忽を以てせず、熟慮を以て聖規則聖福音書聖使徒の書并びに其の他凡ての聖書を誦読するや否能く神の誡命に循て行ひ其の委任せられたる人民を教誨するの熱心を有するや否を精密に験査せざる可らず。蓋し我等の神位の本義は大ディオニシイの云ひし如く神より授かりたるの言即ち聖書を真実に識得するに在り。若し心志確定せずして此の如く行ひ此の如く教誨するの熱心を有せざる者は之を按手す可らず蓋し神は預言して曰く爾知識を棄つるを以て我亦将に爾を棄て爾をして我が祭司たらしめず(何西オシヤ四章六節)

凡そ世俗の有司の執行する主教或は司祭或は輔祭の選挙は規則(使徒規則三十條)に循ひて無効たる可し其規則に曰く世俗の官長を利用して教会に書教の権を得たる主教は除黜せられ且親與を絶たる可し凡そ之と交通する者も亦然りと蓋しニケヤに集会したる諸聖父の規則(第四條)に定められたる如く主教に登崇せらるる者は諸主教に由りて選立せられざる可らず其の規則に曰く主教は其の州中の悉くの主教にて立つるを最も適当なりとす若し已むを得ざるの事故に由り或は道路の遠隔なるに由りて之を行ふに不便なる時は少なくとも三主教一所に集会し不参の者も此の選挙に干與し書を以て同意を表し而して後按手を行ふ可し各州に於て此の如き事を認定するは其の府主教(ミトロポリト)に属す。

真理の伝道ものたる神の使徒大パウェルはエフェスの長老等及び彼等に由りて凡そ神品の者に規則を與ふるものの如く侃々として謂て曰く人の金銀衣服は我未だ曾て之れを貪らず我凡事に於て爾曹に示すに是の如く勤労して柔弱者を扶持し且人に與ふる者は人より受くる者に較ふれば更に福たることを憶ふ可きを以てせりと(行實二十章三十三,三十五節)是故に我等も彼に学んで主教は決して卑陋なる利慾よりして無実の罪を口実と為して其部下の主教或は教衆或は修士より金銀若くは其の他のものを要求することを図る可らずと議定す蓋し使徒曰く不義の人は神の國を嗣ぐを得ず(哥林多前書六章九節)又曰く子は親の為に財を積まず親は子の為に積むべき者なりと(哥林多前書十二章十四節)故に若し金銀若くは其の他の者を獲んが為め及び其の他己の慾念に由りて其の教衆に聖務を行ふを禁止して之が親與を絶ち或は尊貴なる聖堂を閉鎖して之に神の聖務を行はしめざる者ありて認めらるる時は此の如き者は無感覚に向ひて狂暴なる事を行ひたるに由り實に自ら無情者たるを以て神の誡命及び使徒の規律を犯したる者として之を其の自ら他人を處したるの罰に服し其の暴を以て其の頂に帰せざる可らず(聖詠七ノ十四)蓋し最高の使徒ペートル亦誡めて曰く宜しく神の群の爾曹の中に在る者を牧し且之を監督すべし強に由るに非ず乃ち願に由り且神に由る汚利に由るに非ず乃ち楽に由る神の業に主と為らずして乃ち群の式と為れ。而して牧長顕著する時不敞の栄冠を得可し(彼得前書五章ニ,三,四節)

罪を犯して悔改せざるは死を致すの罪なり。貨財を以て神に順従するよりも重しと為し其成律定規を守らずして漫に敬虔及び真理に敵する者は其罪更に大なり此の如き者若し自ら謙遜して其罪を悛改せざる時は主神其心に在らず。彼等須く神に就き宜く痛心を以て其罪の赦免せられんことを請ふべく不義の献金を為して誇稱す可らず。蓋し主は心の傷める者に近し(聖詠三十三ノ十九)故に若し献金を以て教会の位に立てられこの神の旨に背き神品に違ふの悪例を恃んで耻る色なく徳行を以て聖神に選ばれ献金を以てらずして挙げられたる者を罵詈凌蔑する者あらば先づ之を其の最下の位に貶黜し而して若し尚ほ執拗して聴かざる時は懲罰を以て悛改せしむ可し。若し按手の時之を行ひたること露顕せば使徒の規則に循ひて之を處分す可し其規則(二十九條)に曰く主教或は司祭或は輔祭にして金銀を以て其位を得たる者は其者並に之を立てたる者共に除黜せられ且全く親與を絶たる可し猶ほ巫祝シモンは我ペートルにて絶たれたる如しと又ハルキドンに集会せし我等の克肖なる諸父の規則第二條に循ふ可し其規則に曰く若し主教金銀の為に按手ほ行ひ不可賣の恩寵を化して賣物と為し金銀の為に主教或は「ホレエピスコプ」或は司祭或は輔祭或は其の他凡そ教衆に属する者を立て又は金銀の為に主計(エコノム)或は「エクディク」或は「パラモナリイ」或は凡て嫌悪すべき利慾の為に人を教会の職に登庸し而して此事を行ひたるを罪せられたるときは自己の職位を褫奪せらる可く又彼等に立てられたる者は決して其の買ひ得たる所の按手若くは登庸を利用すべからず即ち金銀を以て得たる所の位若くは職を褫奪せらる可し。又斯く可悪且不法なるの利慾に媒介する者あるに於ては其者若し教衆なれば其位を除黜せらる可し俗人若くは修士なれば教会の親與を絶たる可し。

各州に於て一年に二回主教の公会を為して規定に関するの調査を為す可しと云ふの規則あり而して第六公会の克肖諸父は集会者の困難と旅行の為に要するものの乏しきを慮り毎年一次決して逃避推諉することなく公会を為して犯則の事を修正す可きを定めたるに由り我等も此規則を再興し且有司にして之を妨ぐる者あれば其の親與を絶つ可し。若し府主教たる者巳むを得ざるの事故若くは強迫の事有るに非ず及び其他正當の理由有るに非ずして之を執行するを怠る時は規則に循ひ之を懲罰に處す可し。若し規定或は福音の事に付きて公会を為したる時は集会せし主教等は宜しく力を盡して聖にして生活を施す神の誡命を守ることを慮らざる可らず。蓋し之を守る者は大なる寶(たまもの)を得ん(聖詠十八ノ十二)誡命は乃ち燈其法は乃ち光り訓譴は乃ち生命の途なり(箴言六章二十三節)主の誡は明かにして目を明にす(詩篇十八ノ九)又府主教は主教の携ひ来りたる家畜若くは其他の物を要求するを許さず若し此の如き事を為して罪せられたる者は之を四倍にして償還す可し。

神の使徒バウェル曰く或人の罪は先に著はれ或人の罪は後に従ふと(提摩太前書五章二十四節)蓋し先きに著はれたるの罪に他の罪も従ふものなり。ハリストス教を讒謗する者の不虔の異端に従ひて亦他の不虔の事生ぜり。蓋し彼等聖堂より聖像を除去すると共に亦他の或る慣例をも廃棄したるに由り此に之を再興し成文不成文の法規に従て遵守せざる可らず。故に致命者の不朽体なくして成聖せられたるの聖堂は常例の祈祷を以て之に不朽体を置く可きことと定む。若し以後聖不朽体なくして聖堂を聖にするの主教あれば教会の傳を破りたる者として除黜せらる可し。

エウレイ教派の者にしてハリストス我等の神を凌辱せんと欲し佯りて「ハリスティアニン」と為り陰に之を斥ぞけ竊に「スポタ」を守り其他イウデヤ教の諸禮を遵行する者あるに由り議定すること左の如し彼等をば親與にも祈祷にも聖堂にも受く可らず乃ち彼等は其の宗派に従て顕然エウレイ人たる可し而して彼等の子にも領洗せしむ可らず又彼等に僕を買ひ若くは之を求むるを許す可らず。若し彼等の中より誠実の信を以て帰正し顕然其のエウレイ教の慣習及び所業を棄てて誠心に聖教を奉じ之を以て他人をも譴責して悛改せしめんと欲する者あらば之を受け其子にも洗を施し之をして全くヱウレイ人の妄説を擯斥するの心を堅ふせしむ可し。此の如き者にあらざれば決して受く可らず。

尊貴なる聖像に對して著述せし児戯的の風説謔言邪書等は悉く之をコンスタンティノポリの主教館に納め他の異端書と共に蔵置せざる可らず。若し此等の書を秘蔵して認められたる者主教或は司祭或は輔祭なれば其位を除黜せらる可し俗人或は修士は教会の親與を絶たる可し。

教衆の者規則に制定せられたる規律に違背し己の管区を去りて他の管区に転じ就中此の神に救護せらるる王城に来りて世俗の有司の家に住居し其の祈祷室に於て聖務を行ふ者あるに由り其本主教とコンスタンティノポリの主教の許可なくんば如何なる家若くは聖堂にも之を受くるを許さず。若し此事を行ひ執拗して聴かざる者は除黜せらる可し。而して前に云ふ所の聖治理者の許諾を得て之を行ふ者は神聖なる規則を以て行ふことを禁ぜられたる如く世俗の業務を担任す可らず。若し貴紳と稱する者の家に在りて俗務を執る者あれば或は之を中止す可し或は除黜せらる可し。寧ろ往て幼童家児に教授し之に聖書を講説す可し蓋し之が為に聖職を得たればなり。

十一

我等凡そ聖規則を格守するを勉め各教会に主計(エコノム)を立つ可きを命ずるの規則をも変更せずしてセ全然守らざる可らず。府主教若し各々己の教会に主計(エコノム)を立つれば善し若し立てざればコンスタンティノポリ主教は己の権を以て其教会に主計(エコノム)を任定するの権有る可し。若し府主教に従属するの主教等も己の教会に主計(エコノム)を立つるを欲せざる時は府主教にも亦之を立つるの権有り。修道院に對しても同じく此事を格守す可し。

十二

若し主教或は修道院長(イグーメン)たる者主教館若くは修道院に属するの地を官長の手に売却し或は其他他人に譲與せしこと露顕する時は聖使徒の規則に循て其の譲與は無効たる可し主教は神に監視せらるる者として教会の諸物品を慮り之を管理す可し然れども主教は其中一物たりとも己の私有と為し若くは神に属する者を以て己の親戚に與ふるを許さず若し其中貧者あらば貧者として之に施す可し但し之を辞としして教会に属する者を販売す可からず(使徒規則三十八條)仮令其地は損毛を来たし毫も利益を生ぜざるの口實ありとするも地を其處の官長に譲與せずして教衆若くは農夫に譲與す可し。若し狡猾の手段を用ひ官長は教衆若くは農夫より其の地を転売することあるも其売却は無効の者と為し主教館若くは修道院に其賣物を返還す可し而して此の如く行ふの主教或は修院長は放逐せらる可し即ち彼等は妄りに己の積まざるものを散ずる者として主教は主教館より修院長は修道院より放逐せらる可し。

十三

我等の罪に由りて教会に生じたる災難に由り或る聖堂主教館及び修道院等人の掠奪する所となりて俗家と為りたる者有り若し之が領有者之を還附して舊の如く恢復せんと欲すれば善且つ良なり若し然らざれば父及び子及び聖神に罪せられたる者として神品の者なれば之を除黜し修士若くは俗人なれば其の親與を絶ちて蟲死せず火滅せざるの所に入れらる可し(馬可旧称四十四節)蓋し彼等は我が父の家を以て貿易の家と為す勿れ(約翰二章十六節)と云へる主の言に抗する者なればなり。

十四

神品に規順の欠く可らざるるは人の皆明に知る所にして精密に神品職に関する登庸のことを遵守するは神の悦ぶ所なり。然るに幼少の時に只教役者たる剪髪式を受けたるのみにして未だ主教の按手を受けざる者按手を受けずして聖堂の集会に出でて升壇に立て誦経する者あり此の事規則に反するを以て以後之を為す可らざるを命ず。此事修士等にも同じく遵守せしむ可し。各修院長(イグーメン)は己の修道院に於てのみ誦経者の按手を行ふを許す但し其修院長(イグーメン)は素より司祭たる者にして主教の按手に由りて修院長の職を受けたる者なる可し亦「ホレエピスコプ」も舊慣に由り主教の允許を得て誦経者を立つるを得可し。

十五

以後教衆は二教会に任定せらる可らず蓋し是事たる商業及び卑陋なる私慾に相當して教会の風習に反する者なり蓋し我等は人二主に事ふる能はず或は此れを悪みて彼を愛し或は此れに親しみて彼を疎むべければなり(馬太六章二十四節)と云へる言を聞きたり。故に各人使徒の言に循ひ其の召されたる所の分に止まりて(哥林多前書七章二十節)一教会に在る可し。蓋し凡そ卑陋なる利慾の為に教会の事に従事するときは神の遠ざくる所と為るなり。過活の資を求むるには種々の業あり之を欲する者は自ら其肉體の為に要する物を求む可し蓋し使徒曰く此手曾て我及び我と偕にせし者の需めに供せりと(行實二十章三十四節)而して此の事は此の神に救護せらるる王城に於て遵守し他の地方に於ては人員の不足なるを以て免除す可し。

十六

凡ての華美及び身體の装飾は神品の職位身分に反する者なり。故に錦衣美服を以て己の體を装飾するの主教或は教衆は宜く改む可し。若し聴かざる時は之を懲罰に服す可し香油を用ゆる者も亦然り。苦根滋々長じて(希伯来十二章十五節)「ハリスティアニン」を讒謗する者の異端は公教会の汚点となり之に従ふ者は聖像を嫌厭するのみならず端正敬虔の生活を為す者を嫌忌して悉く敬虔の事を排斥し敬虔は罪人の嫌悪する所なり(シラフ一章二十五節)と云ふの言彼等に應験せしに依り素衣を服する者を嘲笑する者あらば懲罰を以て悔改せしむ可し。何となれば凡そ聖人なる者は古来華美ならざる素衣を服するを以て満足せり蓋し大ワシリイの云ふが如く凡そ需要の為にあらずして装飾の為に用ゆる者は皆虚飾の罪に属するなり。又絹布の錦衣を用ひ及び衣裾に異色の縁を附くることを為さざりき蓋し美服を衣る者は王宮に在り(馬太十一章八節)と云へる神の言を聞きたればなり。

十七

修士たる者にして首長たらんと欲し順従することを厭ふて己の修道院を去り竣工の資なくして祈祷室を建ることを企るものあり。若し敢て之を行ふ者あらば該地の主教之を止む可し。若し竣工の資を有すれば其の既に企てたる事を終らしむ可し。此事俗人及び教衆に對して亦同く遵守す可し。

十八

神の使徒は外人にも礙を施す勿れと云ふ(哥林多前書十章三十二節)然るに主教館若くは修道院に婦女を居くは諸の誘惑の原因と為るなり。故に主教館若くは修道院に婢或は自主の婦女を置き之に業務を托する者ありて認めらるれば之を懲罰に服す可し執拗して聴かざる時は除黜せらる可し。若し婦女偶々郊外の家に有りて主教或は修院長其處に行かんと欲する時は主教或は修院長の居る前に當りて婦女は決して何等の務をも為す可らず乃ち主教或は修院長の去るに至るまで自ら他處に避けて誹謗を生ぜさるを致す可し。

十九

教会率先者中に貪利の悪風行はれ敬虔と稱せらるるの男女にして主の誡命を忘れ心迷ふて金銀の為に神品の位若くは修道の業に入らんとする者を受くるあり。大ワシリイの言ふが如く凡そ初め潔からざる者は皆邪なり蓋し人は神と貨財に事ふること能はざるなり。故に之を行ふ者ありて認められたる時若し主教或は修院長或は其の他神品職に在る者なればハルキドン聖公会の規則第二條に循ひ或は禁止す可し或は除黜せらる可し若し女修院長(イグーメニヤ)なれば其修道院より除逐せられ他の修道院に入りて順従を守る可し司祭の按手を受けざる修院長(イグーメン)も亦之に同じ。又父母が聘物の如くにして其子に與ふる物或は自己所有の物を献納する時献納者自ら神に献ずるものなりと明言する時は我等其約の如く之を献納せし者の修道院に居り若くは去るに拘はらず之を去らしめたる源由は院長にあるに非ざれば其約に循て之を留め置く可きことと議定せり。

二十

以後二様の修道院を造る可らずと議定す何となれば是れ多人の誘惑躓礙と為るを以てなり。若し親戚の者と共に世を避けて修道の業に従はんと欲する時は男は男修院に往き女は女修院に入る可し蓋し是れ神の悦ぶ所なり。現在尚ほ存する所の二様の修道院は我等の聖父ワシリイが制定したる規則及び誡命に循て管理す可し即ち一私有道院に修士と修道女同住す可らず何となれば同居同住は姦淫の媒介と為るべければなり。修士は修道女と若くは修道女は修士と獨處に於て猥りに談話す可らず。修士は女修院に宿泊す可らず并びに修道女は修士と共に獨處に於て飲食す可らず。若し生活の為に必要なる物を男修院より修道女に送る時は女修院長は数人の老修女と共に其の門外に出でて之を領収す可し。若し修士其の親戚の女を見んと欲せば女修院長の居る所に於て多言を用ひず簡短に之れと談話し宜しく速に去るべし。

二十一

修士或は修道女は己の修道院を去りて他に転ず可らず。若し之れある時は之を遇待せざる可らずと雖も其の院長の意に由らずんば之を受く可らず。

二十二

凡その物神に献じ己の意の如く使役すべからざるは大事なり。蓋し神の使徒曰く爾曹或は食ひ或は飲み悉く宜しく神の栄の為めにして之を行ふ可しと(哥林多前書十章三十一節)又ハリストス我等の神は其の福音に諸罪の根原を絶つ可きを命ぜり。蓋し彼は只姦淫を罰するのみならず其の言に由るに邪淫に傾きたる意念の発動をも罪せり曰く凡そ婦を見て慾を懐く者は則ち中心既に之と淫せり(馬太五章二十八節)故に我等之を学び意念を潔ふせざる可らず。蓋し使徒の言教誨するが如く凡その物不可なる無しと雖も亦凡その物益有るに非ず(哥林多前書十章二十三節)凡そ人は生活するが為めには必ず食せざる可らず妻子と共に住するの俗人は男女倶に食するも非議す可きことに非ず唯宜く食物を賜ふ者を感謝して猥褻の談話を為し或は「サタナ」の歌を謳ひ簫を吹き淫聲を発して食す可らず蓋し左の預言者の譴責之に應ず曰く禍なる哉琴を以て簫を似て酒を飲み主の功を顧みず其手の作る所を思はざる者や(以賽亜五章中十二節)若し「ハリスティアニン」にして此の如き事を行ふ者あらば宜しく改む可し而して若し改めざる時は曾て制定せられたる規則に従て之を処分す可し又主神に修道の軛を負ふの契約を立てて静寂一様の生活を為す者は宜しく獨座沈黙すべし(耶利米哀歌三章二十八節)又神品の職を択びたる者の獨處に於て婦女と共に食する事も亦全く嘉すべき事に非ず唯神を畏るる敬虔なる男女と共にし殊に其の筵会を心霊の裨益と為すが為めにする時は格別なりとす親族の者に関しても同く之を遵守す可し。若し修士或は神品の者旅行の際要用のものを有せず、已むを得ずして旅舎若くは他の人家に休憩せんと欲する時は不得已に出るを以て之を行ふを許す。

Примечания

句読点等は読みやすさを第一とせず、なるべく可能な範囲で原文に近づけています。

文字サイズは「中」推奨。

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Опубликовано пользователем: Rodion Vlasov
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